標語聖句

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2024年度の標語
「探しなさい。そうすれば、見つかる。」
(マタイによる福音書7章7節)

昨年はウクライナでの戦争が終わりを見ないうちに、イスラエルのガザ侵攻が始まり、世界は混迷の時を迎えつつあります。神の国の実現と平和を希求するキリスト者にとっては、心の痛む出来事ばかりが次々と起こり、世界の未来に不安を感じるばかりです。自然災害などとは異なり、直接的に人間の手によって日々引き起こされている悲劇が、一日も早く解決へ向かうことを願ってやみません。

主イエスが、後に山上の説教と呼ばれる数々のお話をされた時代、ローマ帝国の支配下にあったユダヤの人々は、経済的にも精神的にも抑圧された社会の下にありました。そのような生活の中で、自分たちの生活と魂を救ってくれる救世主の出現を心待ちにし、いつか誰かが自分たちに救いをもたらしてくれるのではないかとの希望をもって、彼らなりの「神の国」の実現を求めていたのでした。ただ、そこには同時に一種のあきらめの感情もありました。力を持たない自分たちが、何かをしたとしてもこの社会は変わらない。かつてのダビデ王のような大きな力を持った英雄が現れて、社会を根本から変革してくれるのでなければ、今の生活は何も変わりはしないのだと。そのような人々に向かって、主イエスは「求めなさい。」「探しなさい。」「門をたたきなさい。」と、それぞれが自ら行動を起こすことを求められたのです。

現代の私たちの生活、とりわけ中高生の皆さんの生活に置き換えてみるとき、これらの言葉はどのように響くでしょうか。求めることは絶えず行っているかもしれません。将来に大きな可能性を持つ皆さんにとって、手に入れることのできるものは無限にあります。そこに希望が生まれます。現段階で不可能と断じるべきものなど何もないと言えるでしょう。しかし、皆さんはそれを得るために、本当に大切な何かを探し求めているでしょうか。神様がすべてのものを備えて下さるのだと言えばそれまでですが、主イエスが語られた通り、神の国の実現のためには、私たちには「求める」ばかりではなく、「探す」という行動が必要になってくるのです。

マタイによる福音書13章には、良い真珠を探す商人の話が記されています。「天の国(神の国)」のたとえとして語られたものですが、商人は高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買うとあります。全財産を使ってでも手に入れるべきものが、この世界にはあるというのです。私たちは本気でそのようなものを探しているでしょうか。そして、そのようなものが世の中には本当に存在するのでしょうか。

主イエスは「探しなさい。そうすれば、見つかる。」とおっしゃいました。私たちには想像もつかないものも、手に入れることが不可能であると思われるものも、必要であれば神様は何でも備えて下さいます。但し、私たちはそれを得るために、努力を惜しまず、探さなければなりません。未来に向けて、長い時間がかかるかもしれませんが、神様に信頼し、全財産をかけてでも手に入れたい、本当に大切なものを見出しましょう。

(院長 鵜﨑 創)

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