標語聖句

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2017年度の標語
「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」(エフェソの信徒への手紙 5章1節)

聖書には、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネによる福音書 3章16節)とあります。神様は、ご自分にかたどって創造された人間とその世界をこよなく愛されました。何度となく神様の前に過ちを繰り返し、神様の期待にそうことのできない人間ではありますが、それでも神様は私たちを慈しみ、その一人ひとりに愛の手を差し伸べてくださいます。私たちはこれほど神様に愛されていることに、気が付いているでしょうか。心をしずめて、自分と向き合ってみる時を持つと、神様から与えられた恵みの一つひとつを数えることができるでしょう。そして神様の恵みのうちに生かされている自分を知ること、その自分を神様が愛してくださったように自らを愛することが求められています。神様は私たちのことを私たち以上によくご存じです。「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」(マタイによる福音書 10章30節)というほど、神様は私たち一人ひとりに目を向けてくださっているのです。私たちは決して集団の中の構成要素の一部分ではありません。神様に愛される大切な者として、それぞれが神様に個として向かい合う一人の存在なのです。

聖書の中で最も重要な掟として主イエスがあげたのは、「神を愛すること」です。そして、それに次ぐ大切な掟は「隣人を愛すること」でした。「神を愛し隣人を愛すること」はキリスト教の教えの中心にあたる内容です。神様が創造された一人ひとりの人間は、すべて価値あるものであり、尊いものです。ですから、私たちは隣人、つまり他者の存在をおろそかにすることはできません。神様が自分を愛してくださっているのと同じように、大切な存在であるとの認識をもち、互いに尊重し合う関係でなければならないのです。

「神に倣う者となる」とは、神様が人間を愛してくださったように、私たちが神様を愛し、自らを愛し、他者を愛すること。すべてにおいてこの精神をもってあたることになりますが、それはいかに困難なことでしょうか。弱い私たちは、神様と同じに振る舞うことはできないけれども、神様がされたように近づこうとすることはできます。その行いの基礎となるのが「愛すること」なのです。神様が独り子をお与えになったほどの大いなる愛に倣うことはできないにしても、日々の生活の中で、家族や友人との関係の中で、神様に倣って小さな愛を示すことはできると信じています。

女子学院に多くの校則がないことは、みなさんご存じのとおりです。初代院長の矢嶋楫子先生は、当時校則がない中で、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい。」とおっしゃいました。私たちが神に倣うとは、つまり聖書に聞くことです。一つひとつの行いについて、神様はどうお考えになるだろう、どうしたら神様は喜ばれるだろうと、絶えず問う姿勢を持ち続けてほしいと願います。

あなたがたは神様に愛されています。だから、神様に喜ばれることであれば、どんなに困難なことであっても、神様の助けを得て、それを成し遂げることができます。愛をもってすべてに向き合い、神に倣う者となりましょう。

院長 鵜﨑 創

 

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