標語聖句2004年度

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2004年度の標語「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」(ヨハネによる福音書 15章5節)

イエスさまの時代だけではなく、それ以前のパレスチナ地方でも、ぶどうは古くから栽培されていたようで、ぶどうはオリーブとともに聖書の中に最もひんぱんに登場する植物として知られています。特に旧約聖書では、ぶどうの木は神に植えられたイスラエルの象徴ともなっており、ぶどうの木の下に座すことは平和と繁栄を意味していました。

一方新約聖書の中では、キリストがご自分をぶどうの木にたとえ、「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝である」と言われた言葉が有名です。ヨハネによる福音書に出てくるこの言葉の前後には次のような言葉が記されています。「ぶどうの枝が木につながっていなければ、自分では実を結ぶことが出来ないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ実を結ぶことができない」「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」木の枝は幹に、葉や花は枝につながっていなければ枯れてしまうので実を結ぶことが出来ないことはよく分かります。しかし、「豊かに実を結ぶ」というのは一体どういうことなのでしょうか。

豊かに実を結ぶという表現は、何か物事が順調であったり、豊富である様子を表しているように聞こえますが、私たちの人生に当てはめて考えてみるとき、それは必ずしも何かで成功したり、功績を挙げたりすることではなく、一人ひとりその人なりに与えられた命を精一杯生きることではないかと私は思っています。自分に与えられている力や才能を充分に伸ばし、しかもそれを他者のために役立てるためには、私たちはまず人間性を磨かなければなりません。心を豊かにする必要があります。そして、体を養うために食物が必要であるように、心にも養分が必要です。植物の枝や葉が木の幹につながっていることによって水分や養分を受け取ることが出来るように、私たちの心も何かによって養われる必要があります。聖書はそれを「ぶどうの木につながっている」と表現しました。

ただ生きているというのではなく。意味のある人生を生きるために、そして自分自身を100パーセント開花させるために、私たちの心のよりどころ、存在の基盤をどこに求めていくかが、私たち一人ひとりに問われているのです。

これまでの標語より