2009年 新年のご挨拶

院長 田中弘志

皆さま、新年おめでとうございます。昨年は例年にも増していろいろと多難な年を過ごしたような気がしております。特に米国発の金融危機に端を発した世界的な経済不況の影響が、あっという間に私たちの足元にも及んできたという印象が強く、日々の生活に大きな不安を抱きながらようやく年を越したという方々もたくさんおられたのではないでしょうか。’08年の漢字は「変」でしたが、確かに世の中全体の動きが「変」でした。日本社会に限ってみても、政治、経済、環境、社会生活全般にわたって、ほとんどが何か悪い方への変化であって、良い方への変化というものはあまり感じられなかったような気がします。それに加えて、新型インフルエンザ発生の危険性が高まっているとのことで、私たちはますます暗い気持ちにならざるを得ませんでした。
新年早々暗い話になりましたが、これは別の見方をすれば、世界の人々が一つになるための良いきっかけかも知れません。人類が一つとなって戦う(立ち向かう)べき敵(課題)がたくさんあって、もはや人間同士が互いに戦い、傷つけあっているような場合ではないのではないか。そのような認識に立ち至るべき大きなきっかけです。限りある資源や富を人類の未来のために賢く用いるためにこそ、世界の指導者達が叡智を結集してもらいたいものです。
さて話は変わりますが、昨年12月に評論家の加藤周一さんが亡くなられました。日本にとって大切な、良識ある知識人をまた一人失ったという残念な思いでいっぱいです。加藤さんは大江健三郎氏や小田実氏らとともに、2004年に発足した「憲法9条の会」の呼びかけ人のお一人でした。この9条の会発足にあたってのアピール文の中にはこのような文章があります。「私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法9条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、9条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来に対する、主権者の責任です。」
2004年に発足したこの9条の会は、今や全国にネットワークを広げて、その数6000を越えているそうです。2006年に女子学院の同窓生が2人で立ち上げた「9条ぶどうの会」というのもあって、その会報が不定期の発行ではありますが、既に20数号まで続けられてきています。その発足のことばにはこのように記されていました。「わたしたちは、この9条をまもりぬいて次世代へ手渡すために、忍耐と希望とをもって共に祈り、平和を愛し人権を尊ぶひとびとの輪を、ぶどうの枝のようにひろげていきたいと希っています。」 まさに平和への願いと小さな行動の積み重ねは、忍耐を要する営みであることを実感させられます。
昨年3月に、その前年に亡くなられた小田実氏を偲び、その志を受けつごうという主旨の「9条の会講演会」が渋谷で開催され、私も参加しました。9条の会の呼びかけ人であった大江健三郎氏、加藤周一氏、鶴見俊輔氏、小田実氏夫人の玄順恵さん、三木睦子氏、井上ひさし氏、奥平康弘氏、澤地久枝氏らが次々と演壇に立ってお話をされました。その時加藤周一さんはこんなことをお話されていました。「いまや戦争はグローバリゼーションの時代に入ったと言える。なし崩し戦争を止めるには、その時期を見極める勘どころが大切だ。」 講演会の参加者は私のような中高年者の姿が圧倒的に多かったように思いますが、会が終わって会場の外に出てみると、大学生らしい数人の人々が熱心にPeace Night 9の呼びかけをしていました。ちらしをもらって読んでみると、都内の各大学にある9条の会のPRとともに、11月に3000人の大学生が一堂に会して「憲法9条を守ろう」と訴える集会を計画していて、その呼びかけだということでした。若い人々の間にもこのような動きがあることを知って、私は大変うれしく、また勇気づけられる思いでした。この年が世界の平和に向かって一歩でも近づくことの出来る年であって欲しいと心から願っています。

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