入学式がおこなわれました

◇入学おめでとう◇

◇入学式がおこなわれました◇

入学式での中学生徒会長の歓迎の言葉を載せます。

新入生の皆さん、女子学院中学校ご入学おめでとうございます。皆さんをこの学校にお迎えすることができてとてもうれしく思います。
女子学院は自由な校風として知られています。皆さんは、矢嶋楫子という名前を聞いたことがあるでしょうか。この方は女子学院の初代院長です。その頃、女子学院に校則はひとつもなく、『あなた方は聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい。』という矢嶋楫子院長の言葉によって生徒の自治が支えられていました。このエピソードに象徴されるように、女子学院の自由の根底には聖書の教えがあるのだと思います。
聖書の教えといっても、今までキリスト教に触れたことのなかった方々も多いと思いますし、この入学式も礼拝形式で驚いている方々もいらっしゃると思います。私も入学式のとき、いきなり知らない讃美歌や、「アーメン」という言葉を唱えるということを教えられ、一人だけ間違えたりしないだろうかととても緊張していました。おそらく、皆さんも一昨年の私のように緊張していらっしゃるでしょうから、『聖書を持っているのだから自分で自分を治めなさい』というようなことを言われてもピンとこないかもしれません。
私はこれまで二年間、女子学院のキリスト教教育をどのように受け止めてきたかを振り返ってみました。最初は礼拝で讃美歌を歌ったり、聖書を読んだり、先生のお話を聞いたりすることが新鮮でした。しかし、しばらく経つと小学校の頃より一時間以上も早く起きて登校することがつらくなり、礼拝の時間は、足りない睡眠時間を確保するという生活パターンが出来上がりました。しかし、ある日私は礼拝遅刻をしました。ただの遅刻ならよいのですが、その日私はきちんと学校に間に合う時間に着いていたのに、教室を出るのがおそく廊下も混雑していたために遅刻したのです。この事に私はショックを受けました。それから私はチャイムが鳴る前から教室を出て、早めに講堂や小講堂へ行き、落ち着いて奏楽を聴くようにしました。先生方のお話も今までよりきちんと聞くようになり、聖書について考える機会が増えました。そうして、今まで聖書を読んでも何のことだかよく分からなかったところも、少しずつ理解できるようになりました。例えば『隣人を自分のように愛しなさい』という掟が聖書には書かれています。しかし、誰が私の隣人なのか分からず、何を自分のように愛すべきなのかも分かりませんでした。しかし、中二の御殿場教室でさまざまなことを学び、誰が私の隣人かではなく、私は誰の隣人になれるかを考えたほうがよいことに気づきました。つまり、誰かを自分のように愛せばその人は隣人であるのだと分かりました。
話を元に戻して、聖書で自分を治めることについて考えてみたいと思います。聖書には私たちのあるべき姿が示されています。私たちがある行動を取るとき、それが正しいかそうでないか、聖書は判断する基準になってくれると思います。そこから自分で考えて行動する、私たちはそうできる自由がある、ということなのだと思います。
皆さんがこれから過ごす中高六年間は、人生の中で最も短く感じられる時期だといわれています。それだけ誰もが楽しめ、充実した日々を送れるからだと思います。皆さんもそういう日々を過ごすために色々なことに挑戦してみてください。私たちは皆さんのためにできる限りのお手伝いをしたいと思っています。女子学院の伝統を受け継ぐ仲間として共に頑張りましょう。クラブ、委員会、校外活動、体育祭に文化祭、ぜひそれらに積極的に参加して、楽しんでください。中学生徒会は皆さんの参加を心より歓迎します。以上をもって歓迎の挨拶とさせていただきます。

 

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