中3ボランティア

◇中3ボランティア◇

中3は、総合の時間に「自分と社会との関わり」というテーマに1年間をかけて取り組みます。その一環として身近なところで社会と関わることを目的に、夏休みにボランティア体験をすることが学年からの課題になりました。生徒達はまず自分たちで行き先を決めるところから始めました。それぞれ貴重な、充実した体験ができたようです。保育園で二日間を過ごした生徒の感想を載せます。

私は家の近くにある保育園へボランティアに行きました。どこに行こうか相当悩んだのですが、以前から保育園に自分も楽しんでやることができる魅力を感じていたことと、家のすぐ近くにちょうど保育園があり、地域と深く関われるという理由から直接お電話してお願いしました。高校生、大学生はよく受け入れるけど、中学生は初めてといわれていたので当日は少し緊張してボランティアに望みました。
私は2~3才のクラスに配属されました。みんなで遊ぶというよりは一人ひとりおもちゃに真剣に向かっている子が多く、いくら話しかけてもなかなか答えは返ってきません。しかし色々な子に何度も話しかけ続けているうちに、私が、ある女の子の着ていた洋服を「ピンクかわいいね。お姉ちゃんもピンク好きだよ。」とほめると「私もピンク大好き。見て見て。これもピンクなの。」と答えてくれて少しずつ打ち解けていきました。
午前中にはお外で泥んこ遊びの時間があり、終わってからは服を脱がせてシャワーを浴びせ、また着せます。着替えも最初はてこずりましたが、はい、右足あげて。次、左足ね。はぁい、ばんざーい。」などと声をかけると子供たちはそのとおりに動いてくれて、私は言葉を途絶えさせないように話しかけ続けました。
そうこうしているうちにお昼の準備が始まり、私は部屋のお掃除と布団敷きを任されました。先生方に、「先生、お願いします。」と言っていただき、自分はボランティアの身ではあるけれど、子供たちがよりよく過ごせるように行う活動の中ではそんなことは関係なく、私も未熟者ではあるけれど一人の先生として認めていただいていることに嬉しさと責任感を感じました。
自分の役目を終え、子供たちと同じお食事をいただいているとき、地震が起きました。少し揺れましたが、私はいつもの通り、地震に気付いてもしばらくはぼぉっと座っていました。しかし先生方の行動は迅速でした。子供たちを机の中に入れ、子供たちの靴と避難リュック、ヘルメットを取りに走り、窓とドアを開けて逃げ道を確保する。でも、私のしたことといったら一人のなかなか動かない男の子を机の下に入れただけでした。その時私は「自分は大丈夫」と私の立場から出来事を見ていて、自分より弱い立場にある子供を「守る」という意識がなかったことを恥じました。そしてのんびりとした保育園の裏にある緊張感に気持ちが引き締まったのです。
食事が終わると台布巾でテーブルを拭き、雑巾で床を拭きます。子供たちは体に食べこぼしをつけたままうろうろして遊び始め、思ってもいないところにたくさんのご飯粒やおそうめんが落ちていました。最初はテーブル、椅子まわりで精一杯だったのですが、お昼ご飯やおやつを繰り返すうちに広い範囲に目が行き届くようになりました。
そして子供たちはお昼寝をし、私は45分の休憩をいただきました。子供たちの寝顔は本当にかわいらしくて心が癒され、洗われていくのを感じました。私はよく母が言う、「子供は一番手がかかるときに一番かわいいように神様に作られている。」という言葉を思い出しました。この子達のために、私はもっともっとたくさんのことをしたい、力になりたいと心から感じました。
子供たちが起きる前に私はトイレ掃除を済ませ、子供を起こして布団を片付けました。そうしておやつを食べ、後片付けをして子供たちと遊んでいるともう帰る時間、あっという間です。
しかし私は、本当に短い時間の中でたくさんのものを与えてもらいました。ある女の子は「わたし、お姉ちゃん先生のこと好きだよ。」と言ってくれました。ある女の子は私が掃除するのをずっと待っていてくれて、終わると「先生、ご本読んでぇ。」と呼んでくれて、私が読むとにっこり見上げてじっと私の目を見つめてくれました。最初は先生にばかり話しかけて、私に見向きもしなかった子供たちも、本を読んでいると次々に集まってきて私のひざに乗っかり、何人もいっぺんに話しかけてくれ、誰から答えればよいのかてんてこ舞いになるほどでした。お着替えのとき、一生懸命一人でボタンを留めようとしていた女の子は何度も何度も挑戦し続けていました。しかしいくら頑張ってもボタンは留まりません。困ってじっと私を見て助けを求めたその子は、次の日一人ですべてのボタンを留めていました。そして先生に「すごいねぇ。一人でボタンできるの。」とほめられ、こんな笑顔、私はいつしただろうと思ってしまうほどの満面の笑みを浮かべていました。私は彼女からあきらめずに挑戦し続けることの大切さ、そしてそれは実際に実を結ぶということを学びました。最初はぎこちなかった私の笑顔も、心からあふれ出る笑顔に変わりました。
子供たちの笑顔は本物でした。色々なことが絶え間なく起こり続ける毎日の中でギスギスしてしまっていた私の心も次第にまぁるくなっていくのを感じました。嬉しいときは心から笑う、悲しいときは心から泣く、いつでも一生懸命に毎日を純粋な気持ちで自分自身と向かい合って過ごしていくことの大切さに気付かされ、心に刻み込みました。
たった二日間でした。終わったとき私の心は晴れ晴れしていて、いつになく前向きになっていました。正直もっともっと続けたかったほどです。しかし子供たちにすぐに忘れられてしまう悲しさでいっぱいでもありました。でも、それでいいのだと、私は前向きになれました。私ももう今では覚えてはいませんが、小さい頃たくさんの人たちに支えられたのでしょう。そして今も、見えないところで多くの人に支えられているのです。これからはもっと、そういう人の存在に目を向けることができたらいいなと感じ、そして今まで私を支えてきてくれたすべての人への感謝でいっぱいになったのでした。

◇YWCAカンファレンス◇

夏休みにYWCA班の班員と中3有志の10名が、関東地区中高YWCAカンファレンスに参加しました。今年はアジア学院でキリスト教主義の学校のYWCAのメンバーが集い、ワークキャンプが行われました。講堂礼拝での報告を載せます。

今年は「いのちを考える」というテーマのもと、西那須野町にあるアジア学院で8月2日から2泊3日の関東YWCAカンファレンスという、フェリス・捜真・横浜英和・静岡英和・JGのYWCA合同での合宿が行われ、5校合わせて40人が参加しました。
アジア学院は、アジア・アフリカの農村地域からその地に根を張り、その土地の人々と共に働く農村指導者を学生として招いて、宗教・民族・習慣・価値観などの違いをお互い認め合いながら、公正で平和な社会を実現する農村指導者養成のための研修を行う学校です。9か月間の研修では、That We May Live Together 『共に生きるために』のモットーを掲げ、農業をしつつ家畜も飼う有畜複合型有機農業による自給自足の生活を行って、自国のコミュニティーの自立を導く人材を養成しています。アジア学院では、研修を受ける金銭的な余裕のない、草の根で働く人々に研修のチャンスを与えるため、海外からの学生の渡航費・研修費をほぼ全額負担しています。
ただ農業研修をしたいのなら農薬や化学肥料をどんどん使って研修を行ってもいいはずですが、なぜ有機農業にこだわるのでしょうか。これには大きく分けて二つの理由があります。一つ目は発展途上国において農薬がとても高級品であることです。借金をして高い農薬を買い、どれだけ見栄えのよい野菜を大量に作ったとしても、借金を返せるだけの利益が上がらなければ、いつまでたっても貧しい農村地域の自立は望めません。二つ目は農薬が土地に与える影響です。発展途上国で今現在売られている農薬の中には有毒であるのを理由に、何十年も前に日本では発売が禁止されたものがたくさんあります。比較的害の少ないものもありますが、農薬に完璧に無害なものは1つもありません。農薬を使って一時的に収穫量が増えたとしても農薬の毒素がどんどん土壌に堆積してしまって、10年後、20年後には収穫量が激減なんてことになっては、本末転倒になってしまいます。日本では有機野菜というと高いというイメージがありますが、それは人件費が高いだけで、本来有機農業はとても経済的で長期的に収穫の見込める最良の方法なのです。
2泊3日のカンファレンスの中で私たちはアジア・アフリカの研修生と一緒に農作業をしたり、家畜の世話をしたりしました。具体的には畑の草むしり、家畜の餌やり、小屋の清掃、牛の乳搾り、鶏の卵回収、養魚池の洗浄と消毒などです。もちろんこれ以外にもたくさんあります。一番面白かった作業は鶏の卵回収です。よく牧場とかでしている卵採りと、することはなんら変わらないのですが、管理体制のない小屋ですから、卵を産むために作られたボックスではなく、小屋の隅っこに卵が放置されていたり、卵があるかの確認のために産卵用のボックスを開けてみたら中にいた雌鳥に睨まれたりしました。でも時には生む瞬間を見られたり、すべてがドキドキワクワクでした。豚の餌には近くにある小学校から出た残飯が使われているのですが、集められた残飯を初めて見た研修生は、人がまだ食べられるものがこんなにも捨てられているという日本の現状にかなりショックを受けるそうです。学院の敷地はとても広くて坂道だらけだし、栃木だとはいっても夏真っ盛り、炎天下での作業は見かけよりかなりハードで、なまりきった体にはとてもこたえましたが、二日目の昼食が終わるころになるとあれほどきつかった作業にも暑さにさえも慣れ、自然の中での生活を心から楽しんだり、最初はぎこちなかった他校の人との関係を築いたりする余裕もできました。食事を研修生の方と毎回は一緒に取れなかったのが残念ですが、先生やフェリスのOGの方が作ってくださった、学院から分けてもらった食材を使っての料理は、食材の新鮮さはもちろんのこと、食材本来の味が堪能できました。私の一番のオススメは、今までに食べたどれよりも甘くて、みずみずしいトマトと、噛めば噛むほど味の出るパンでした。一度食べたらやめられません。二日目の夕食で一度だけ研修生の方と一緒に食事をするチャンスがあったのですが、このときに出たメニューは鶏の骨付き肉を色々な野菜と一緒に煮込んだカレー風味のものや昼顔の入ったフルーツポンチなど、とても国際色豊かで一瞬にして外国を飛び回っているような気分でした。
アジア学院の生活で一番困ったのは研修生との言葉の壁です。もちろん日本語がペラペラの方もいらっしゃいましたが、アジア学院での公用語が英語であり、しかも英語を母語としない者同士の英語であったために、思い通りには会話できません。朝の集いと呼ばれるかなりフレンドリーな礼拝に参加させてもらったときも、すべてが英語だったので八割がた分からず、日本国内にいるのに英語の重要性を思いっきり痛感させられてしまいました。
地球上ではすべての人が十分に食べられる量の作物が作られているはずです。しかし先進国ではダイエットを望む人がいる一方で、発展途上国では食べ物が無く餓えて死んでゆく人が後を絶ちません。なぜでしょうか。先進の国々は金にものを言わせ、必要以上の食べ物を輸入し、余ったものは捨てるという、資源の無駄遣いを繰り返しているからです。日本において一年間に捨てられる食べ物は少ない見積もりでも600万tといわれ、これは日本の年間の小麦の輸入量に匹敵します。アジア学院に来た研修生が小学校からきた残飯を見てビックリするのも納得できます。飢えで亡くなる人が後を絶たない理由はこれだけではありません。戦争や紛争も大きな要因のひとつです。争いは、死体の山と、荒れ果て簡単には食べ物を生み出せない土地しかもたらしません。今年は戦後60年という節目の年であるため、この夏、戦争をテーマとしたTVドラマがいくつか放送されました。今、私たちは戦争のことを過去の出来事としてみがちですが、世界に目を向けてみると今もどこかで起こっている、というのを忘れてはいけません。
アジア学院には時々ドイツからの研修生がいます。ドイツでは男性に一年間の兵役が課せられているのですが、その兵役に対し「人を殺す訓練ではなく、人を生かすための訓練がしたい!」と望んだ人たちです。自分さえ平和であれば、ちゃんとご飯が食べられれば問題はない、と考えることもできます。しかし、どこか一か所で起こった不都合はめぐりめぐって、自分のところにも降りかかるものです。一部の人だけが幸せなのではなく、すべての人が平和で幸せに暮らせる世の中を模索してみましょう。何か自分にも出来ることがあるはずです。ここでアジア学院の創設者で現在アジア学院名誉学院長の高見敏弘先生の理念を紹介したいと思います。

大切なものを大切にする - あたりまえだ
大切なものは何か - いのちと食べものだ
豊かな自然と人々のおおらかな労働が
いのちを支える食べ物を作る - あたりまえだ
あたりまえに生きる道を学ぼう
『共に生きるために』

 世の中にはあたりまえのことがたくさんあります。でも、あたりまえのことをあたりまえにやるのは簡単そうでとても難しいことです。もし、当たり前に出来るようになった時、何かが変わるそんな気がしませんか?

◇文化祭が終わりました◇

10月8日と10日に実施しました。
両日の雨天にもかかわらず1万6千名以上の来校者をお迎えしました。
5回目を迎えた講演会を始め、全ての展示や催し物が大盛況となりました。

 

今年の講演会は「内から見るJG、外から見るJG」と題し行なわれました。第5回を迎えるこの講演会の内容は、院長と卒業生3名と在校生によるパネルディスカッションで、世代を越え女子学院で学んだこと、得たことについて語られました。
広い心で見守られて自由に過ごしていた経験を「JG生活は自分の家の庭にテントを張っていたよう」と語られる卒業生の言葉も印象的でした。ほぼ満席の来場者の中には熱心にメモを取る方もいました。

以下の団体がマグノリア賞を受賞しました。

マグノリア賞準マグノリア賞
展示部門天文班書道班
音楽部門管弦楽班マンドリンギター班
催物部門Jr.ESS班ダンス班
音A団体Mandreamer
個人参加キシヤケバオ
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