ひろしまの旅

今年も高1は7月16日~18日の2泊3日、平和教育の一環として「ひろしまの旅」に行って来ました。 原爆資料館の見学、碑めぐり、宗藤尚三先生による講演、グループに分かれてのフィールドワーク、全体会など充実したプログラムの中で、生徒たちは平和への思いを深めました。

 

講演会
宗藤尚三先生
フィールドワーク
月下美孝先生
全体会1
全体会2

ごてんば教室

9月17日の講堂礼拝で、中学2年生の生徒たちがごてんば教室について報告をしました。
今回のごてんば教室の中での吉岡先生の講演で、私の心に一番残ったのは、自分と向き合うこと、そして他人に仕え、相手の傷を負おうとすることが大切だという吉岡先生のメッセージだ。  吉岡先生が第一日目の講演で、自分の長所、短所を書きだすようにおっしゃったとき、私は長所より短所の方が多かった。吉岡先生から短所の方が多いのは典型的な日本人に多いと聞き、私は自己肯定の強い人よりは、自己認識の厳しい人の方がいいのではないかと思い、軽く受け止めていた。しかし、その後の吉岡先生の話で、私は大きく認識や考えを改めさせられた。ルカによる福音書の、かの有名な「善いサマリア人」の箇所を聞いたとき、私はサマリア人の他者への行為ばかりに注目していた。しかし、大切なのはそこではなく、同じくルカの10章27節「自分のように隣人を愛しなさい」すなわち自分を愛しなさいということだった。欧米人が長所ばかりを挙げられるのは自己陶酔によるものではなく、自分自身を愛せるからこそできる自分との向き合いによるものだった。そして、日本人は短所として厳しい評価を自分に付けるだけで、自分と向き合うわけではなく、自己認識が的確なわけではなかったのだ、と私は知った。自分と正しく向き合えば自分も成長でき、相手にも正しい認識ができる。よいことだらけだ、と私は思った。なのに、どうして向き合えないのだろうか。私はそれを克服するために、本当の自分、正しい認識をしてもらえる自分に、私自身が最初になろうと思う。  第二日目、吉岡先生は「絆」について話され、東日本大震災にも触れられた。吉岡先生は、絆とは相手の傷を負って仕えようとすることで、だから絆に「きず」という文字が含まれていると話された。私はそれを聞いているうちに自分を恥じてきた。私は最近、自分の忙しい生活を優先するあまり、教会に足が向かず、行かないこともあった。教会の礼拝中のお祈りで、先生が必ず東日本大震災による津波や原発事故で被害を受けた人々や地域の復興を祈っている。私は、これまで私が教会に行くたびにそれを言っているので、正直口で言っているだけでも何の意味もなく、被災された方々がかわいそうだと自己中心極まりなく相手の傷を全く負おうとしない理屈を心のどこかで考えていた。しかし、マザーテレサの「愛の反対は無関心」という言葉のとおり、勝手な理屈で自分だけ震災から逃れ、忘れようとしていたのだと講演を聞いて思った。私たちは今日生きたかった人の命を今日生きているのであって、その人たちの思い、震災という事実を忘れることはできない。私たちは被災しなかったからこそ、忘れず、傷を負わなければならないと思う。それこそが、共に生きるということである。  誰だって、「過去と他人は変えられない」。だからこそ、「未来と自分は変えられる」。その言葉を今後、私のモットーとして、正しい自己認識ができる自分となり、自分を変える。そして、絶対に震災という出来事を忘れず、他人に仕え、傷を負う覚悟を持ち続けたい。そして、最後に、自分を大きく変えてくれた、このごてんば教室や講師の吉岡先生、そして「共に生きる」同輩たちに感謝したい。

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