「歴史を知ること」(ひろしまの旅報告礼拝2)
「第1回女子学院ひろしまの旅」は1982年に始まりました。女子学院では、中学3年生から教科を超えて事前学習を行い、「ひろしまの旅」を大切に守り続けています。今年度のひろしまの旅は、10月22日(水)~24日(金)に行われました。1月14日(水)に行われた生徒の報告礼拝を、2回に渡って紹介します。
「歴史を知ること」
ひろしまの旅を通じて、私にとって特に印象的だったのは、フィールドワークでのお話と、最終日の全体会での話し合いだった。
フィールドワークでは、戦争についても学んだ。以前の私は、「戦争」と聞くと、突然変貌した世の中、苦しみしか無い日々をイメージしていたが、被爆者の方々からのお話でその印象は間違いだったことがわかった。世の中は突然変えられたのではなく、徐々に変化していき、気づけば戦争も日常の一部となり、苦しみの中にも確かに人々は楽しみや喜びを感じて生きていたのだ。ここで、私が歴史をどこか「他人事」として捉えていたことに気がついた。歴史の中で出てくる人々が、自分と同じように感情を持ち、生きていた人間であるということを忘れていたのだ。しかし、今回の旅で被爆者の方々のお話を直に聞いたことで、歴史の中にある一人一人の人生を感じることができ、歴史が確かに現実に起こったことなのだという実感が湧いた。そうして初めて、原爆がどれだけ悲惨な出来事だったのかを、改めて認識することができたように思う。これから歴史を学ぶときには、その中に生きていた人々の存在を忘れずにいたいと思った。
また、もう一つ心に残ったのは日常の大切さについてのお話だった。先ほど、世の中は段々変化していったと述べたが、その変化はゆっくり過ぎて、その日々の中で暮らしている人々は、世の中全体の大きなうねり、戦争へ突き進んでいく風潮を感じ取れなかったのだと教えてもらった。今の私たちにも通じる話だと感じ、ぞっとした。戦争の少ない時代、国に生まれた私にとって、日常とは、何事もなく続いていくものだった。しかし、今この瞬間も、変わらないと信じていた日常は変化しているのかもしれない。はじめは微々たる変化でも、時間が経つにつれて、それは大きな変動になる可能性がある。だからこそ、その小さな変化に目を留め、大きな社会の変化のサインを見逃さないように、関心を持ち続けることが重要なのだと思った。そして、この日常が続くということは何にも変え難い幸せなのだなと実感した。この幸せは、思いもよらないタイミングで、突然なくなってしまうものだ。このことを心に留め、日常の有り難さと貴重さを覚えていこうと思う。
最終日、最後のプログラムとなる全体会では、「平和とは何か」「平和を実現するためにどうやって様々な側面を持つ戦争と向き合うか」というテーマで話し合った。被爆者の方々をはじめとして、皆「平和は本当に大切なもので、原爆は絶対に2度と使ってはいけない」という共通の思いを抱いているが、その上で、これらは各々の意見が大きく異なる、容易に答えの出せない、正解も結論もない問いだ。正直にいうと、そのような問いに向き合うのは苦しい。けれど、だからこそ、目を背けてはいけないのだと感じた。
全体会の中で印象的だったのは、「被害の歴史だけでなく、加害の歴史にも向き合っていかなければいけない」という意見が多く挙がったことだ。私は、その意見を聞いているうちに、無意識に目を逸らしていた、「知ることができた」のに、「知ろうとしなかった」歴史が確かに存在していることを痛感した。そして、同時に、自分の無知と無自覚の驕りに気付かされた。自分が本当の意味で歴史に向き合おうとしなかった事実と、ただ少ない知識を持っているだけなのに、それをまるで理解したかのように思い、驕っていたのだ。歴史には学ぶだけでも苦しくなるような辛い出来事や考えても答えの出ない問いがたくさんある。しかし、だからといって学ばないでいると、その無知は誰かを傷つけることにつながってしまう。「知らなかった」ではすまされないのだと思う。全体会でも、私たちが平和を実現していくためには平和について考え続けることが大切だという意見が多くあった。今私にできることは、歴史を正しく等身大の姿で認識し、想像力を働かせ、学ぶことからはじまるのかもしれない。
戦後八〇年を迎え、ますます戦争は完全な過去になり始めている。「忘れてはいけない」と思いつつも、旅に行く前の私は、考えなければならないことの膨大さに怖気付き、何からやればやればいいのかわからなくなっては結局何もしてこなかった。旅を終えた今も尚、伝えられたメッセージの重さに逃げ出したくなってしまうし、悩むことばかりだ。けれど、今は、平和への第一歩は、歴史を知ることから始まるのだと知っている。それを常に心に留め、考え続けることに向き合っていきたい。
