中学講堂礼拝より
2月12日(木)の中学講堂礼拝(中二・中三生徒)を紹介します。
「目には見えないけれど大切なもの」 中二生徒
朝の礼拝について、この一年間を振り返ると、私が最も変化したのは「礼拝への考え方・向き合い方」です。
中二の最初は、礼拝のお話に集中せず、自分のことに関して悩んだり、考えたりする時間でした。そんな感じだった私が変わるきっかけは二つあります。
一つは、昨年夏に行った「ごてんば教室」で、これは中学二年生の行事においてとても重要なものです。この中でも二日目に行われた講演について話したいと思います。この講演のテーマは「大切なものは目に見えない!」です。これは、私たちのごてんば教室の課題図書の『星の王子さま』のとても有名な箇所です。しかし、いざ「大切なものは、目に見えない」と言われても、そうなんだ、そうかもしれないと思うことしか、当初の私には理解できませんでした。けれども、祈祷会に通い続けるうちに、自分にとって目には見えないけれど大切なものを見つけたことで、その言葉に共感できるようになりました。
次に、その祈祷会についてです。知らない人も多いと思うので説明すると、毎朝七時四十五分から宗教センターで行っているお祈りの会のことです。普段の礼拝と違う所を挙げると主に、讃美歌は歌わない、旧約聖書から毎日一章ずつ参加者全員が一節ずつ読んでいく、そして、一人一人が短い祈りをその場で言うことです。私はこの会に、約一年間通い続けています。
初めは、私が朝早くから学校にいたため、友達から一緒に行かないかと誘われたことです。その時は、まだ自分の祈りを考えるのにとても緊張したり、聖書のお話も全く理解していませんでした。けれども、お祈りに慣れていき、学校の聖書の授業によって、旧約聖書のお話の流れを知ったことで、少しずつ難しいとは感じなくなっていきました。そして、今では、友達が居るから、時間が空いているから祈祷会に行こうとなるのではなく、祈祷会に行くために早く学校に着こうと考えるようになりました。
祈祷会では、確かに難しいお話の多い旧約聖書の範囲ですが、その分聖書の世界についてより身近に感じることができます。ぜひ、朝早く学校に着ける人は、足を運んでみてください。
最後に、祈祷会に行くことで見つけられた目には見えないけれど大切なものとは、礼拝で自分と向き合う時間です。聖書の中には、理解できる話もあるし、理解し難い話もあるけれど、全て含めて聖書の世界だと、祈祷会で私は感じました。しかし、その話を聞いた時は心に響かなくても後から自分の意識を変えることもあります。「自分と向き合う時間」というと、難しい感じですが、つまり礼拝とは、聖書箇所に目を向け、お話を聞き考える時間です。礼拝をこうして過ごすようになってから、自分の心にゆとりを持つことができるようになりました。私は、これからもこの礼拝の時間を大切にしていきたいです。
「女子学院に学んで」 中三生徒
中学三年間の学校生活は、私にとって気づきと学びの時間だったように思う。中学三年間を終えようとしている今、私はこれまでの学校生活を通して、自分自身がどう変化してきたのかを振り返る。入学当初、私は自分の考えに自信を持つことができず、周囲の評価や意見に左右されやすかったように思う。自分が何を大切にしているかを深く考えるのは少なく、与えられた枠の中で答えを探そうとしていた。しかし、女子学院で過ごした三年間は、そのような私に、立ち止まって自分自身を見つめ直す時間を与えてくれた。
学校生活を通して感じたのは、学ぶという行為が単に知識を身につけるということだけでなく、自分自身の在り方を問い直すものであり、問いを持ち続け、自分の考えを深めていくことなのだと感じるようになったと思っている。
授業や日常の中で求められたのは、与えられた答えをそのまま受け取る姿勢ではなく、自分の頭で考え、自分の言葉で表現しようとする姿勢だった。その積み重ねは、すぐに答えを急ぐ気持ちよりも、考え続けること自体を大切にする心構えを私の中に育ててくれた。
私がこのようなすぐに答えを出せない不安や迷いも、自分を成長させるためのものと受けとめられるようになったのは、聖書の存在があったからだと思う。
私はこの三年間で毎朝の礼拝や週に一度の聖書の授業を通して、神の無条件の愛というものを知った。存在そのものが受け入れられているという考え方は私にとって新鮮であり、同時に大きな安心感を与えるものであった。それまでの私は、自分の長所や成果によって自分の価値をはかろうとしていたが、この学びを通して、できることもできないことも含めて自分なのだと、少しずつ思えるようになった。この考え方は、自分の弱さとの向き合い方を変えたように思う。思うようにいかないことや駄目なところがあっても、それを否定するのではなく、今の自分を知るための過程として受けとめようとする気持ちが芽生えた。常に完璧である必要はなく、揺れ動きながら変わり続ける存在なのだと感じられるようになったことは、私にとって大きな変化であった。
また、この三年間は、他者との関わりの中で、自分を知る期間でもあった。「自由」と謳われる校風の中で、異なる考え方や価値観に触れ、自分の意見も他者の意見も絶対でないということ、そして、他者の存在によって自分の視界が広がっていくことを実感した。
さらに、神の無条件の愛というものを知ったことで、人は皆、どこか不完全さを抱えながら生きている存在であるという理解が深まり、他者を一面的に判断するのではなく、丁寧に向き合おうとする姿勢が育っていったように思う。
高校生活ではこの姿勢を失わずに、人と関わったり学び続けていくことが大切だと思う。他人からの評価や結果だけにとらわれるのではなく、自分の中から生まれてくる問いを大切にしながら、自分自身と向き合っていきたいと思う。
女子学院中学校で私が過ごした三年間は、神の無条件の愛というものに支えられながら、自己を見つめ、育てる時間であった。この学びを土台としながら、高校生活ではより主体的に学び、自分と他者の双方を大切にして歩んでいきたい。それでも、いつも前向きに考えられているわけではなく、迷ったり、立ちどまってしまうことも多いだろう。そんな自分も受けとめながらこれからの学校生活を一歩ずつ歩んでいきたい。
