梅岡女学校付属看護婦養成所
連続テレビ小説『風、薫る』がNHK総合で放送中です。
主人公の「一ノ瀬りん」と「大家直美」が「トレインド・ナース」(正規の訓練を受けた看護婦)を目指して入学した「梅岡女学校付属看護婦養成所」は、女子学院の前身の学校の一つである桜井女学校にあった養成所がモチーフとされています。「一ノ瀬りん」は大関ちか、「大家直美」は鈴木雅をモチーフとしており、2人は桜井女学校付属看護婦養成所の第一期生です。
ドラマは実在の人物やエピソードを脚色したフィクションですが、「りん」と「直美」の他、養成所の同級生や教師についても何人かは、桜井女学校に所属していた人物をモチーフにしたのではないかと思われます。ちかと雅の周りの人々については、「特設サイト 大関ちかの歩みをたどって 日本のナイチンゲールと呼ばれて」を是非ご覧ください。
ドラマはもうすぐ折り返し地点を迎えます。史実や当時の生徒の回想録、現在の学校の様子に触れながら、物語の前半を振り返りたいと思います。
参考にする回想録は、桜井女学校や成立したての女子学院に通っていた生徒によるもので、田村直臣・浅田みか子編『女子学院五十年史及学窓回想録』(1928年)に収録されています。ちなみに、「バーンズ先生」の通訳を務める「松井エイ先生」のモチーフとなったと思われる峯尾えいという人物がいますが、えいの夫となるのが編者の田村直臣です。
◆りんと直美は似た者同士?
家老の娘の「りん」と、教会に捨てられて孤児として育った「直美」。全く異なる境遇で育った2人が出会い、トレインド・ナースを目指すことになりました。実際の大関ちかと鈴木雅は、2人の子を持つシングルマザーという共通点がありました。20歳そこそこの同級生の中で、ちかと雅は2人とも20代後半の年長組でもありました。
人物像はどうだったかというと、「りん」と「直美」のように、個性の異なる2人だったのではないでしょうか。
ドラマでは「吉江善作」牧師が号泣しながら「直美」の胸の内を聞いたり、号泣しながら「直美」の髪の毛を切ってあげたり、というシーンがありましたが、実際に泣き虫だったのはちかです。ちかは「吉江善作」牧師のモチーフだと思われる植村正久牧師をしばしば訪れては、大きな声で泣きながら窮状を訴えていました。その様子を植村牧師の娘である環が書き残しています。ちなみに植村環は女子学院の卒業生です。ドラマでは「吉江」牧師は「直美」に近しい人物でしたが、実際はちかをキリスト教に導き、恩師であった人です。
一方の雅は、どんな人物だったのでしょう。雅はドラマで「バーンズ先生」にあたる看護指導のアグネス・ヴェッチから唯一お墨付きを与えられた優秀な生徒でした。養成所を修了すると、実習先の病院に勤務。退職後に派遣看護事業を立ち上げます。全ての人に看護の手を差し伸べたい、と当初は貧しい人々への無償の奉仕を目指していましたが、採算が取れずに有償での事業に切り替えました。また、心血を注いでいた事業から手を引き、働き盛りの40代半ばで引退した際には、その理由を仕事仲間には語りませんでした。このような行動から慮るに、冷静で寡黙な性格であったのではないでしょうか。
また、2人の境遇の違いとして、ちかは夫の処遇に耐えかねて離縁を申し出たのに対し、雅は陸軍少佐であった夫と死別したということがあります。雅は夫を充分に看護できなかったことを悔やみ、看護婦を志したとされています。
ドラマでは女性の人生を見立てた双六の「上がり」を「奥様」とし、そのライフステージを羨んだり揶揄する場面が何度も出てきました。「奥様」であった雅は、陸軍少佐だった夫の遺産や恩給である程度は暮らしていくことができたはずなのに、当時は珍しかった断髪姿(ショートカット)となって固い決意を示し、2人の子どもと離れ、誰も進んだことのない看護婦の道へ踏み出しました。雅の夫への思いが感じられます。
◆「梅岡女学校」もミッションスクール?
ドラマの「梅岡女学校付属看護婦養成所」の生徒と教師は共同生活を送っています。食事の前に主の祈りをささげているシーンがあったことから、「梅岡女学校」はキリスト教主義であると考えられます。「りん」らが戸惑う中、教会で育った「直美」とクリスチャンであることを明かしている「喜代」だけは完璧なタイミングで「アーメン」と唱えていました。
また、校舎の壁には「真理は汝らを自由にする」という聖句(ヨハネによる福音書8章32節)が掲げられていました。女子学院でも毎年度の初めに院長が標語聖句を選び、聖句の意味を1年間を通じて考えています。同じ聖書箇所は2011年度に選ばれましたが、本校では新共同訳聖書を使っているため文言が少し異なり、「真理はあなたたちを自由にする」としていました。
2026年度の標語聖句は「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(コリントの信徒への手紙二12章9節)です。書道班が書いてくれた聖句が通用口に掲げられており、毎朝生徒は通学する際に目にしています(JGニュース4月掲載の写真をご覧ください)。
ドラマでは看護にかかわる講義の様子のみ描かれていましたが、桜井女学校付属看護婦養成所の生徒たちは聖書などの授業も受けていました。聖書は校長の矢嶋楫子(やじまかじこ)が担当していました。ドラマでは「梶原敏子」(略すと「かじこ」)として登場しています。「梶原校長」の登場シーンは多くありませんでしたが、あまり笑わず、突き放すような態度をとりながらも、生徒の様子を見守り花を活ける姿が印象的でした。実際の楫子も大変厳しく、前方から楫子が来るのを見ると生徒は「廻れ右」をし、その眼光の鋭さから「光線」とあだなされていたそうです。怖い印象の一方で、家計に急変があって月謝を払えなくなった生徒をこっそり呼び、融通を利かせて学校に通わせたといった優しさのにじむエピソードも残っています。
女子学院の前身である諸学校と、成立当初からしばらくの間の女子学院は、教員は原則クリスチャンという方針でした。例外もあり、高津柏樹という漢文や和歌を教えていた男性の教師がいましたが、この方は僧侶です。親しみやすい人柄であったようで、生徒に請われて詩吟(鞭声粛々…)をうならされたり、長い白髪をリボンで結われたりしていたそうです。後に宇治の黄檗寺の管長になった人物です。
これは楫子の方針で、自身はキリスト教を基に教育を行なっていたが、宗教が違っても人柄を信用して自由に委ねていたようだ、と当時を振り返った卒業生が回想録に記しています。また、楫子の思い出として、当初は聖書の感想を問われるのが嫌だったが、自分の意見を発表できるように訓練してくれた。自分で良いと思ったことは伝統や形式に拘泥せず、世間の思惑はおかまいなしにどんどん実行する人だった、とも書いています。
卒業生の回想録を読むと、楫子の思い出に触れながら「光線」というあだなが複数人から出てくるため、通称のように本当に頻繁に呼ばれていたのだろうな、と感じます。面と向かってなのか、かげでこっそりなのか文章からはわかりませんでした。
あだなに関して、年頃の女子学生の「ノリ」らしいエピソードがありました。「寄宿舎の中ではあだなをつけるのが流行していた」として、「髪の毛が縮れた某氏」を「ライオン」、「肩を怒らせている教会の先生」を「箱ちゃん」。ある生徒は、お兄様が洋行した際に食事に鶏卵をほしがったのだが英単語が出てこず、苦し紛れで「hen sonをくれ」(注:メスの鶏の息子)と言った、という笑い話を披露したところ、彼女が「ヘンサン」と呼ばれるようになり、じきに本名を忘れられてしまった。矢嶋校長まで後日この生徒にあてた手紙に「ヘン子様」と書いたぐらい、定着してしまったということです。回想録の行間から、当時の生徒たちが笑いさざめく声が聞こえてくるように感じます。
◆日常会話は英語?
キリッとしたたたずまいの「バーンズ先生」は実は日本語が話せるようですが、モチーフとなったヴェッチは全く話せなかったと思われます。舎監の「松井エイ」にあたる桜井女学校出身の峯尾えいや、「直美」同様に英語が堪能であった雅が、通訳を務めました。
雅は結婚前に女学校で学んでいたため英語が得意であったようですが、桜井女学校付属看護婦養成所の同級生たちも、英語で行われる授業についていけるぐらいの語学力はあったと思われます。
桜井女学校や初期の女子学院に通う生徒たちは、おそらく現代の学校教育を受けた我々よりも英語に通じていたはずです。アメリカ人宣教師が多く教師を務めており、授業によってはオールイングリッシュで行なわれていました。「English Day」として日本語を一切使ってはいけない日もあったようです。授業で顔を合わせるだけでなく、寄宿舎生活のため外国人教師たちとは寝食をともにしていたため、日常的に英語が飛び交っていたことがうかがえます。
そのため、当時の学校の施設や行事について、英語由来の名称が数多く見受けられます。図書館ではなく「ライブラリー」と呼び、礼拝する場所を「チャペル」、寄宿舎を「ホーム」と呼んでいました。現在でも本校では中学生をJr(ジュニア)、高校生をSr(シニア)と呼ぶことがあり、「中1」を「J1」、「高1」を「S1」と書くことがあるのですが、これはこの時代の名残だと思われます。
さて、「スペリング・マッチ」という行事がありました。生徒が1人ずつ選ばれ、外国人教師が出題する英単語を正しく綴る一対一の勝負が行なわれていたようです。興奮が伝わる箇所を引用します。
2人(注:上級生)はかわるがわるよく出来そうな生徒を選び出して、300人近い生徒は半々に分かれて正座した。西洋の先生達がかわるがわる立って、綴字を左へ、右へと課してゆく。猶予はほんの30セコンド(注:30秒)。それで言えない者はスペルダウンさせられてすぐネックストと、右から左へ、あるいは左から右へズンズンと運んでいく。私達第二リーダー組はこの壮快なマッチには加わることの出来ない下級生なので、その日は傍聴者としてだけが許された。繍朱色(注:原文ママ。朱色のことか)のスペリングブックを二・三日前から全校生が離さずに抱えて歩いて、マッチの前夜は徹夜して戦いの準備をした人さえある、と聞いただけでも、新入生の頭にはそのマッチがいかに厳粛で壮絶であるかが思われて、マッチの最中に幾度手に汗を握ったか知れない。
また、当時の卒業生の回想の中に「アラムネ会」という言葉が出てきます。卒業生の集まりを指しているのですが、どうやら英語で同窓生という意味の「alumni」から来た名称だったようです。現在では女子学院の卒業生のための組織は「同窓会」と呼ばれています。
ドラマではもうすぐ病院実習が終わります。「りん」と「直美」や仲間たちは無事に看護婦になることができるのでしょうか。新潟が舞台になることも明かされ、新たなキャストも発表されています。史実でも、大関ちかは新潟県は高田の地で過ごした時期があります。新潟の地で、「りん」はどのような人々と出会うのでしょうか。放送を楽しみに待ちたいと思います。
