女子学院 中学校・高等学校 公式サイト > 女子学院からのお知らせ > JGニュース > 「不完全なまま、心を開く」(中二ごてんば教室報告礼拝2)

「不完全なまま、心を開く」(中二ごてんば教室報告礼拝2)

7月20日(月)〜22日(水),22日(水)〜24日(金)に、日本キリスト教団福光教会牧師の吉川光太郎氏を講師にお迎えして中二ごてんば教室が行われました。9月15日(火)に行われた報告礼拝を2回に渡って紹介します。

 

「不完全なまま、心を開く」

 私はこれまで、人間関係がうまくいかない原因をいつも相手の側に探してきた。例えば相手が先入観で自分を見ているから、相手が変わったから、などだ。

 しかし今回、『アルプスの少女ハイジ』を読み、講演や話し合いを聞く中で、私は逆の問いに向き合わされた。それは誤解されるのを恐れ、先に心を閉ざしていたのはいつも自分の方ではなかったかという問いである。

 私は人と関わるとき、無意識のうちに「良い自分」を演じてしまう癖がある。うまく言葉にできない気持ちや失敗した姿、迷っている姿を見せることをずっと避けてきた。それは、弱さを見せた瞬間に相手からのレッテルが固定されてしまうことが怖かったからだと思う。頼りない人、面倒な人と一度思われたら、もう取り返しがつかない気がしていた。だから私は、相手に理解されることを求める前に、自分から関係の入り口を狭めていた。誤解を恐れるあまり、そもそも本当の自分を差し出していなかった。これでは相手にわかってもらえないと嘆く資格すら、本当はなかったのだろう。

 この癖に気づいたとき、私はもう一つ気づいたことがある。それは、自分が自分自身にもレッテルを貼っているということだ。自分は本音を言うのが苦手な人間だ、どうせ深く関わろうとすると迷惑をかける、というように、過去の自分の失敗や性格を変えられない事実として固定してしまっている。これは、いつか会って話せば崩れるかもしれない他人への先入観より厄介で、自分で自分に貼ったレッテルは、自分自身がそれを信じている限り誰にも崩せない。

 それを崩すのに必要なのは、努力して「良い自分」に変わることではないのかもしれない。私がたどり着いた答えは、自分の内面の変化は完璧になってから始まるのではなく、自分の姿を不完全なまま受け入れられた瞬間に始まる、というものだ。誰かに認められるために自分を整えてから関わろうとしても、いつまでも本当の関わりは始まらない。むしろ、弱さや迷いをそのまま見せてもなおそこに居続けてくれる誰かがいる。その経験があって初めて人は身構えるのをやめ、心を開くことができるのだと思う。だから私は誰かとの関係を築くときに、相手にどう思われるのかを計算する前に、まず不完全なままの自分で一歩踏み出す勇気を持ちたいと思うようになった。

 同時に、これは自分だけの問題ではなく、私が他人と関わるときの姿勢にも直結している。私は今まで相手の失敗や弱い部分を見ると、心のどこかで相手への見方が変わってしまうことがあった。しかしそれは、私と同じように、相手にも自分が期待に応えられない人だとみられるかもしれないというレッテルを恐れて心を閉ざしている瞬間があるだけなのかもしれない。だとすれば、私が誰かの弱さを見たときにすべきことは距離を取ることではなく、それでも変わらず関わり続けるという態度を示すことなのだと思う。「理解している」と言葉で言うよりも、相手が失敗したときにこそ関わり方を変えない方がよほど信頼を作ると思う。

 共に生きるということは、私にとってもう、誰かをどう扱うかという話ではなくなった。むしろ、一番近くにいる自分自身を、そして目の前で不完全な姿を見せている相手を、それでも見捨てず関わり続けられるかという、日々の小さな選択の話だと思う。誤解されることを恐れて閉じるのではなく、不完全なまま差し出す。失望されるのを恐れて距離を取るのではなく、相手の不完全さの前でも留まり続ける。この二つを、これから自分の人間関係の土台にしていきたいと、私は今、そう考えている。

一覧に戻る