夏の合同私学フェアのご案内

◇夏の合同私学フェアのご案内◇

キリスト教学校フェア

日時: 2004年8月6日(金)・7日(土)
10:00~17:00の予定(予約不要)
会場: 東京福音会センター、銀座教会(西銀座、有楽町マリオン近く)
内容: 東京にあるプロテスタントキリスト教中学高等学校全18校の合同展です。
6日 講演会(午前)、各校生徒による学校紹介(午後)
7日 各校生徒の音楽演奏もあります
どちらの日も詳しい時間は未定ですが7月にはお知らせ致します。
各校の紹介を載せた冊子を用意いたしました。
女子学院の生徒も両日とも参加いたしますので是非おでかけください。

東京都私立学校展

日時: 2004年8月21日(土)・22日(日)
10:00~17:00の予定(予約不要)
会場: 東京国際フォーラム
(JR・東京メトロ 有楽町駅徒歩1分)
内容: 東京の全私立中学、高校が参加する入試相談会です。
学校毎のブースに教員が居りまして質問、相談をお受けします。

◇文化祭のご案内◇

~マグノリア祭~ 2004年10月9日(土)・11日(月)

一般公開
9日(土) 午前9時30分~午後5時
10日(日) お休み
11日(月) 午前9時~午後4時
後夜祭:午後5時~午後6時20分
チケット制をとっております。

◇オリエンテーションキャンプ◇

中1は6月10・11日オリエンテーションキャンプに行ってきました。以下に新鮮な感想文を書きます。

自然(洞窟と樹海)
「音をたてないで耳をすましてごらん。」
美しいつららのある洞窟にぽちゃんという小さな音が響いた。水の音だ。ここの水は都会とは違ってとても澄んでいる。それは水を見るとよく分かり、にごりがほとんどない。今、天井から落ちてきた水滴はこれから15年間の間、溶岩でろ過されるのだ。自然の大きな流れを、目のあたりにしている実感がした。
「ヘッドライトを消してごらん。光っているものが見えるから。」
こんなに暗いのにと不安になってしまった。光なんてあるのだろうかと思ってしまったけれど、確かにぼんやりとした青白い光が向こうのほうにあるのが見えた。これは地上から差し込んでくる太陽の光を反射しているそうだ。すごい。一体何が太陽の光をあんなふうに変えるのだろうと、不思議に思った。とても神秘的だけれど、カメラには写らないらしい。なんだか洞窟が光を大切に隠し持っているような気がした。目が暗いところに慣れてしまい、洞窟を出る時には辺りがまぶしく、目がくらくらした。
洞窟を出ると樹海が広がっている。樹海には不思議な格好をした木がいくつもあった。例えば、二回も反対方向に折れ曲がっている木がある。その木は近くの別の木が倒れてきて、重みにたえられず、折れてしまった。さらに、大雨などで、水が木の倒れている先の方をさらっていってしまったのだ。しかし、残っていた一本の枝を成長させ、命を保ち続けてきたのだ。又、大きくカーブした木は、やはり、他の木が倒れてしまい、自分も倒れてしまったが、上へ上へと木々の間をぬうようにして成長したのだった。両方とも、ほかの木が倒れてしまったために自分がつらい思いをしてきた。自分のせいではないのに自分が苦しまなければならないということは私達人間の間にもよくあることだけれど、それでも諦めずに賢明に生きようとしていることに強い生命力を感じた。そう考えると必死に生きている木々達に個々の感情・生きる情熱があるように思った。
樹海はあと百五十年もすれば、普通の山と同じような土になるという。けれどもその間に、再び火山の活動によって溶岩が流れてきてしまうらしい。あれだけ苦労して溶岩から、森を作り、木が懸命に生きようとしてきたのにもう一度ふりだしにもどり、また、生きたものひとつない岩地と化してしまうのが、とてもあわれに思えてしまった。そして、長い年月を重ねてもとの自然の森へ帰そうとする。自然と大きく言ってしまうが、これは何も育たぬ土地からコケが生え、土の中の栄養を作り出し強い植物が生え、森を形成していくという気のとおくなるような長い年月を経てきたのだ。それに比べて私たちは挫折や失敗などがあるとすぐに落ち込んでしまうことが多い。生きている間に苦しいことやつらいことがあったとしても、木々達のように長い時間をかけても最後まであきらめず、前向きに進んでいくことが大切だと感じた。
富士山のふん火による溶岩で多くの生きものが死んでしまい、植物の生えぬ、貧しい土地ができてしまった。けれどもその力により美しい洞窟や清水ができた。また、長い時間を経て、生命力の集まりである“樹海”という森が作られてきた。私は今回のオリエンテーションキャンプで自然は物語のように深く、不思議で様々な姿を持っているものだと思った。これからも自然のことを考え、その中に生きる自分たちをより深く考えて生きたい。二日間みんなと貴重な体験をすることができた。

 

大自然が教えてくれたもの
今回のキャンプで一番自然を感じ、心が動いたことは、やはり青木ヶ原の樹海と洞窟の探検だった。自然の強大な力と生きるための工夫が見受けられた。
樹海に入るとそこは新鮮な空気が流れ、緑のぬくもりのようなものを感じた。道のない場所に入ると、大きな穴が口を開けていた。これは青木ヶ原、つまり富士山が歩んできた歴史の証拠だといえる。話によれば1500年前富士山が噴火した時にマグマが木を取り囲み木が燃え、木の部分が空洞となって今も残っているという。この穴がたくさんあり、しかも山の溶岩で磁気が狂ってしまうため、樹海は入ったら出てこれないと言われている。樹海の中を歩く時、転んだりしないよう下を向いて歩きがちだが、ふと上を見ると木々の緑が透けて見えた。太陽の光と木々の緑という自然の力が組み合わさって、人が作り出せない色を私達に見せてくれた。さらに歩いていくと岩の積み重なった小さな崖のような所を下りた。高さは1、5メートルくらいだったが足場が不安定だったので両手を使った。その時は下りることに夢中だったから気づかなかったが、下りて前をよく見るとそこには洞窟があった。
「洞窟」というと腰を屈めたりして前に進んでいくイメージがあるが、この洞窟は違っていた。最初に崖のような所を下りなければならなかった。しかもそこは真っ暗で霧のようなものがかかっていた。初めて目にするその光景に圧倒され、若干の怖さを感じた。しかし入ってしまうとその怖さはうすれた。そのかわり寒さが感じられ、地下に来たことを実感した。懐中電灯を全て消すと自分の手も見えない「闇」の空間だった。一人取り残されたような孤独感が一瞬過った。本当の暗闇がここにあった。また全ての音を消すと水滴が落ちる音だけが響いた。その研ぎ澄まされた鋭い音は雨が降って山の溶岩にしみこみ、この水滴になるまでの時間を感じさせた。洞窟は人の手を加えていないため、溶岩が固まった時の姿をしていた。天井は溶岩が水滴のように落ちる瞬間の形を、足元はしわがよったような形をしていた。それはまるでカメラでとった一瞬をそのまま再現したようだった。洞窟から出る時、また神秘的な空間を目にした。洞窟の中から見た光だった。暗い所に慣れていた目は太陽の光を新鮮に受けとめた。新しく誕生する生命はこのように初めての外の世界にとび出していく、そう感じた。洞窟は人が手を加えなければいつまでもそこにいて、富士山を静かに見守り続けるだろう。そう思いながら洞窟を後にした。
またここは緑の世界。歩いて行くと倒れた巨木があった。しかしそれは、完全に死んでしまったのではない。死んでしまった今なお土を通して新しく芽生える生命へと力をそそいでいる。その力で生命は誕生し、成長していく。この繰り返しで自然の輪が成り立っている。
生があり、死があるのではなく、死があり生がある。生きるということは絶対に何らかの犠牲の上に成り立っている。だから私はこの命をできる限り有効に使って。どんなに苦しくても最後まで生き抜こうと、改めて感じた。生きるためにはその裏側に大きな犠牲があることを忘れず、一歩でも多く前に進んで次の「生」へとつなげて行くことが今、自分がなすべきことの大前提だと思った。

◇広島講演会◇

高校生は6月17日(木)のロングホームルームに、富田祐一氏のひとり語り「戦艦武蔵の最期ー下級兵士の見た沈没」を鑑賞した。大変印象的であった。以下に「ひろしまの旅」をひかえた高1の感想文を載せます。

今回の講演は今までの中で一番、戦争というものに対する実感のわくものだった。出征の時の家族の思い、役人の横暴、船への攻撃、戦友の死への複雑な感情、ひとつひとつの場面での情景がありありと目に浮かんできた。特に船が沈没してしまった後、木か何かにつかまってみんなで泳いでいくときに、一人二人と力尽きてしまう戦友への思い。友が死ぬ悲しさと、木につかまる人が減ったという安心、またそんな感情を抱いてしまう自分の醜い心へのやりきれなさ、この場面は本当に心を打つものがあった。人間の心の闇を見せつけられた気がした。

また、もう1つ印象的だったのは「人を殺しあって決めることなど何もない。人の命があってこそなのに。それでも戦争をするのは、それで得をする人間がいるからだ。」また「悪いのはアメリカなどではなく、崇め奉られている天皇、戦争をすることによって得をする官僚や戦艦を造っている会社なのだ。人がどんな思いでこの船に乗っているかも知らないで…。」というような所だ。私は今まで人殺しは悪いというのは誰でも知っていることなのになぜ戦争をするのだろうとこの単純な謎の答えを見つけられずにいた。何か決着をつけるなら、別の方法で決めれば良い事なのに、と思っていた。しかし、戦争は戦争をして得をする人たちが実権を握っている社会では起こるのは当たり前だと分かった。

今、戦争が起こらずにすんでいるのは、戦争の恐ろしさ、苦しみを経験した人達が一生懸命歯止めを掛けてくれているからだと思う。この人達がいなくなり戦争を知らない世代ばかりになった時にまた戦争は起こってしまうかもしれない。今では、第二次世界大戦のことすら知らない子供もいるのだという。そういう人達のために今度は少しでも戦争について学んだ私たちが何かしなくてはならない。
一人語り、というか一人芝居というものは今まで見たことがなかったと思う。私にとって一人芝居とは勇気があるな、と思うことであったし。

舞台に余計なものは何もない。椅子。そして青い背景のみ。前編通して秋田弁で語られる。戦艦武蔵の事を聞いてはくれないかー自分が語らねばもう何も残らないだろうから、と。農業をやっていて出征させられたこと、士官(上官?)になるのは嫌だといって断ったこと、戦艦の大砲を一気に発射したら壊れてしまったこと、決死隊に加わるも突入する前に艦が沈みかけ海へ放りだされた事、丸太(木材)につかまってみなで泳ぐも、少しずつ同胞が力尽きていって、次第にその事で軽くなる木を押せるという喜びを生む自身の心を醜く思うこと…

時間の経過が話が進むにつれ、月や星、夕やけなどで現されているのが印象的だった。それはまるで彼の心境すら表している気がした。爆撃は夕方、赤い色の空は血をも匂わせる。国語で習った芥川の羅生門を彷彿とさせる「エゴイズム」の夜の空は黒。

九死に一生を得て生き延びた。その心の傷が今でも痛い――戦争とはいったい何なのだろうか、と彼は私たちに問いかけた。その答えは私の出せるものではない。しかし、その痛みというものは心にしみて理解できた気がする。自分が伝えねばもうそれは残らない…
私たちは伝えられる側から伝える側へと変わってゆかねばならないと思えた。

◇教育懇談会の報告◇

6月19日(中学)、26日(高校)に学年ごとのプログラムで教育懇談会(保護者会)が行われました。
中学1年 オリエンテーション合宿の報告(ビデオ上映を交えて)・クラス懇談会
2年 講演会(カウンセラーのお話)・学年担任からのお話
3年 東北旅行の報告(ビデオ上映を交えて)・クラス懇談会
高校1年 「ひろしまの旅」に向けて・クラス懇談会
2年 進学について
3年  進路について・クラス懇談会

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