入学式

◇入学式◇

4月8日、中学の入学式が行われ、225名の新入生を迎えました。

中学生徒会長の歓迎のことば

1年生の皆さん、御入学おめでとうございます。2ヶ月前、受験生として女子学院にいらした皆さんが今、女子学院生となってここに再び戻ってこられたことを、私達在校生は心から歓迎します。どうぞ、これからの学校生活を存分に楽しんでください。
女子学院がとても自由だということは、皆さんも知っていると思います。制服は無いし、また校則は4つしかありません。この校風に憧れてこの学校を志望された方も少なくないと思います。
それでは、自由とは一体何なのでしょうか。辞書を引きますと、「他から支配や強制を受けず自分の思い通りに出きる事」と書かれていました。しかし私はそれだけではないのではないかと思いました。実際、今まで皆さんに与えられた自由を考えてみますと、例えば小学校で先生に「自由時間です」と言われた時、何をやっても良いわけではありませんでした。友達を蹴ったり、学校を飛び出して遊びに行ってしまったりという事は、ただの我儘や自己中心的な行動です。でも皆さんは、こういうことはしなかったと思います。それは、学校生活の中でやってよいことの範囲を分かっているからです。
しかし、女子学院のように自由が当たり前になってしまうと、自分の自由についての判断が主観的になりがちです。そうすると、我儘や自己中心的な行動になりかねません。ですから、常に自分を客観視し、自分の言動に責任を持って自由を楽しんでください。
また、時間を大切にしてください。私が過ごした2年間は本当に短く感じました。まず中1は何もかもが初めてでよく分からないまま「楽しかったなあ」というだけで終わってしまいました。中2では行事には中1の時よりも余裕を持って取り組めましたが、所属する硬式テニス班では、普段の練習や初めての合宿、後輩の指導、先輩との話し合いなどで忙しく、また中央委員会という委員会にも入っていたため、もちろん楽しく充実していながらも毎日がめまぐるしく、あっという間に過ぎ去ってしまいました。気がつけばもう中3です。是非1日1日を大切に過ごしてください。
入学するとすぐ5月に体育祭があり、それが終わると中間テスト、夏休み、期末テスト、秋休み、文化祭という行事が続いて来ます。知らないことや分からないことも沢山出て来ると思いますが、そういう時は恥ずかしがらずに周りの人に助けてもらってください。
私は入学当初、慣れない環境に不安を抱きつつも見栄をはって知ったかぶりをしていました。他の人に馬鹿にされたくなかったのです。また、元々団体行動が好きではなく、困ったことがあっても人に頼ろうとしませんでした。団体行動において友達への気遣いが大切であることは分かっていましたし、友達からの気遣いは嬉しく思いましたが、少し面倒で、困ったことがあっても全て自分で解決したほうが楽だと思ったのです。しかし、小学校のときよりも密度の濃い集団生活を進めるにつれ、特に硬式テニス班の同学年の中で、私は怖がったり遠慮していることが果たして友人の関係として良い事なのかが疑問に思えてきました。そしてやっとごく最近、大勢の中にいる個人の在り方が分かってきたように思えます。
学校生活では色々考えなくてはいけないことがありますが、悩みすぎてはいけないと思います。特に友人・対人関係においてはその繋がりを信じて、時には気兼ねなく頼ったり、自分の意見を主張したりしてもよいのではないでしょうか。そしてお互いに相手を受けとめ、皆で助け合い、理解しあって楽しい学校生活にしてください。私達生徒会も皆さんが充実した女子学院生活を送れるよう努力いたします。

◇春の修養会◇

3月23日から25日の2泊3日、YWCA山中湖センターで「友だちって何だろう」というテーマで宗教部春の修養会が行われました。中1から高3までの63名が参加しました。ここでは例年、高3が6年間をふり返って話をします。二人の高3の話を掲載します。

 

ありきたりで申し訳ないのですが、六年間のJG生活を振り返って、感じたことや得たもののお話をしようと思います。

女子学院で得たものの一つとして、与えられるのを待つのではなく、自ら求めるという姿勢があります。女子学院においては、自分から動かなければ何も始まらない、というのはよく言われることです。それはこの学校の特色や校風といわれる“自由”ゆえのことで学校側からの干渉は、今思えば、進路のことをはじめ、学校内のあらゆる活動において、ほとんどなされることはありませんでした。以前は何もしてくれない学校に不満も覚えたりもしましたが、生徒の行うことに基本的にさほど口を挟まず、何かを勧めるということもあまりしないこの学校の“自由”は、様々な経験をする機会を与えてくれました。

特に文化祭の音A団体で、金管アンサンブルの責任者をやったことは大変良い経験になりました。メンバーのほぼ全員が所属していた管弦楽班の活動とはまた違う経験です。その頃は高一で、まだ班の運営に携わることもなかったため、私はただ与えられた曲を練習していれば、いつの間にかコンサートの日程も時間も決まっていて、みんな誰かがやってくれると思っていました。しかし、音A団体は発案から選曲、曲順決め、楽譜の調達まで全て自分たちでやらなければいけません。何のノウハウも無い中で、手探りの状態で公演まで漕ぎ着けた時はとても嬉しかったです。はじめから最後まで自分たちで何かを成し遂げるというのは大変だけれどものすごく達成感があって、辛いこともあるけれど楽しいことはもっとたくさんある、ということを知りました。何より嬉しかったのは、それまで何となく同じ部活で同じセクションの仲の良い子たち、という程度の認識だった友人たちと、『戦友』とでも呼べるようなつながりができたことです。一緒に色んな試練を乗り越えてきた仲間たち、という意識は、幹部学年を経験した今では主に管弦のメンバーに感じることが多いですが、音A団体のメンバーにはそれを特に感じます。管弦楽班では、それまで連綿と続いてきた伝統をいかに継承し、改良していくかというところに主眼が置かれていましたが、音A団体はまるっきり新しい団体を作るのです。何かを継続させるのとは別の苦労がそこにはありました。その苦労を共にした仲間たちは、私にとって特別なひとたちです。

とりとめもない話になってしまいましたが、最後に私がこの修養会に参加することになったきっかけについてお話しようと思います。私は今年はじめて春の修養会に参加しました。以前からずっと誘われてはいたのですが、面倒くさいだの何だのといろいろと難癖をつけて参加しませんでした。なぜ今回高三にしてはじめて参加しようと思ったかというと、さらっと「行くよね?」と聞かれてうっかり何も考えずに「うん」と言ってしまい後には退けなくなってしまったことや受験が終わって少し活動的な気持になっていたこと、そして何よりテーマへの興味がありました。女子学院生活を送る中で友だちの存在は欠かせないものでした。だから、女子学院を卒業して新しい環境に順応しなければいけないこの時期に友だちについて改めて考えてみるのも面白いと思ったからです。皆さんはこれから女子学院での生活を送る上で友だちとの関係で悩んだり、傷ついたりすることがあると思います。青春もののドラマではありませんが、その経験も自分を成長させる糧となってくれます。だから、そういうことを恐れずに人と付き合っていくのも大事だと思います。これからの女子学院生活、精一杯楽しんでください。

 

私は今回、皆さんの前でお話しすることになったとき、何を話そうかと、とても困りました。修養会は何度も参加したので去年までは「私も高3になったら何か話すんだなぁ」とは思っていましたが、いざ自分の番になると何も思い付かなくなるものです。ですが、卒業式の次の日にある友人が言っていた言葉にとても共感したので、それについて少し話したいと思います。

「卒業は別に嫌ではない。それよりも、JG生じゃなくなることが嫌だ」と、その友人は言いました。一見すると、卒業とJG生じゃなくなることは同じようにも思えます。ですが、もう卒業してしまったからか、私にはどこかしら違うように感じられました。どこが違うんだろう、と考えてみた時、「卒業」は人生のひとつの節目であり新たな一歩を踏み出すための儀式のようなものであったのに対し、「JG生じゃなくなること」は、自分の置かれる環境が変化することそのものなのではないかと気づきました。

個性的といわれるJG生には確かに色々な人がいるけれど、決してばらばらというわけではありません。何となく似た部分もあるし、JGに入学して自分と違う個性に出会い、相互に影響を受けながら毎日生活していくうちに、互いの違いを認めた上で「JG生」であるという連帯感が生まれていると思います。その中が私には、たまにはサバイバルだったけれど大抵は居心地がよく、出来ることならあまり出ていきたくないとさえ感じていたのでしょう。

結局今まで私たちは「JG生」というひとくくりの中にいたという訳です。しかし卒業はしたいし、というかもうしてしまったのですが、そこを飛び出さなければならないんだと実感した瞬間、私は不安になりました。私は元々、自分から進んで人の輪に入っていくのは苦手だし、自分の意見をはっきり言うのも得意ではありませんでした。中1のときに誘われて初めて参加した修養会はドキドキしっぱなしだったように思います。それが今年で5回目。いい加減慣れたと言いたいのですが、性格はなかなか変えられるものではないようで、まだまだです。

さて話を戻します。今まで「JG生」だった私は、これからはその枠組みが取り払われたひとりのただの人間として、わけのわからない未知の世界に飛び込むことになるわけで、JGに入学した6年前より順応性は落ちていることを考えると、不安にならざるをえません。ちなみに、自分で選んだ進路に向かって「わけわからない」はないだろうと思うかもしれませんが、私は自分の進路に自信があるわけでもないし、正しい選択だったかどうかも、それこそ「神のみぞ知る」だと思っています。でもそれでいいし、先が見えているなんてつまらない。そう思いたいだけです。

それで結局、はじめの友人の言葉は、卒業によりところてんを作るみたいに押し出されることで、JG生という安心できるくくりから出ていかねばならないこと、すなわち環境の変化に対する不安定な気持ちの現れではないかと、私は思いました。もしくは、どちらかと言えば、ワガママに近いのかもしれません。

しかし忘れてはいけないことがあります。私たちは「JG生」という共通のくくりがなくなっても、繋がっていようとさえ思えば、それは可能だということです。幸いにも今はそこらじゅうを電波が飛びかう時代です。本当に便利な世の中になったものだと思いますが、そんな中でもつまり大事なのは、繋がっていたいと思う気持ちと、そう思えるような相手が存在することではないでしょうか。私はそんな人にJGで出会うことができました。皆さんも、数は多くなくていいから、そういう人と出会ってほしいと思います。人間関係は面倒臭いのも事実ですが、縁あってこの学校に入ったのだからきっとそういう人と出会えると信じています。

聞いてくれてありがとうございました。

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