クリスマスの準備

◇クリスマスの準備◇

今年は11月27日からアドベントの期間に入りました。教室などに飾り付けをし、クリスマスを迎える準備をしています。高校宗教委員会が作ったADVENT NEWSと校内の様子をご紹介します。

ADVENT NEWS

2005年宗教委員会
クリスマス礼拝まで、あと約1週間となりました♪
今回はクリスマスの真実に迫りたいと思います。

☆何故飾るのか?
・アドベント(待降節)…救い主の誕生を待ち望む気持ちを表す。
(バプテスマのヨハネ、ザカリヤ、マリア…)
・人々に知らせる…たくさんの人にクリスマスの訪れを告げる・知らせる。
(ガブリエル、主の使い、天の軍勢…)
・喜びをあらわす…救い主の誕生(福音・良い知らせ)を喜ぶ気持ちを知らせる。
(博士、羊飼い…)

☆クリスマスの色について
・白(神)…世界中どこでも、白は純粋や純潔を表すが、聖書の世界では輝きを表す。
・赤(聖霊)…キリストの血。イエスの誕生は、すなわち十字架への出発だった。
・緑(イエス)…常緑樹(永遠の命のシンボル)の色。人々に希望をもたらす色。
以上、白(神)・赤(聖霊)・緑(イエス)は統合して天国を表すとも言える。
・金…高貴を表す。その光、かがやきによって栄光・不変を表すものとして使われる。
・銀…金と並んで高貴を表す。同時に平安を表す。

☆降誕節と降誕日
一般に、「降誕節」とはクリスマスシーズンのこと。すなわち、12月25日(クリスマス)から1月6日(顕現日。異邦人である東方の博士が星に導かれてキリストの所に来た事の記念日)までの12日間をいう。

☆Xmas
クリスマスは「Christmas」ではなく「Xmas」と書かれる事もあります。「X」は「エックス」ではなく、ギリシャ語で「キリスト」を表す言葉の頭文字です。後半の「mas」は「ミサ」「祭り」「礼拝」の事。
ちなみに、厳密に言うと「X’mas」という表記は誤りです。

クリスマスの飾り
西洋の歴史のなかで生まれた、クリスマスを彩る数々の装飾。様々な説がありますが、それらの由来と意味の一端を紹介します。
■リース
英語ではリース(wreath)、ドイツ語ではクランツ(kranz)。植物を編んで作った輪のことで、円は〈永遠〉〈調和〉の象徴。また、リースはいようにと戸口につけていた北欧の習慣が、クリスマスリースとして一般化したのだという。
■ろうそく
蜜蜂の分泌したロウから作られた聖なるもので、太陽・松明と同様に、悪魔を祓い、ものを浄化する力があるとして、紀元前から礼拝などの際に点けられていた。
〈世の光〉〈キリスト〉の象徴。
■クリスマスツリー
起源はドイツ。古来、森から持ち出した木を神々に捧げたり、神木として尊んだり、樹木を敬愛して暮らしてきた“森の国”ドイツでは、キリスト教伝来後は唯一の神が崇められ、特に幼子イエスの降誕を祝うクリスマスに神に木を捧げるようになった。16世紀中頃までは、立ち木がそのままツリーに使われていたが、しだいに室内に持ち込める形ができていった。ツリーに飾りをつけた最初の人はマルチン・ルターだといわれている。
■ツリーにつけるもの
・トップ・スター 大きなひとつの星は、博士たちを導いた星をあらわす。
・モール 頂の星から流れるように垂らすことで、星の光をあらわす。
・ガラス玉  夜露や星の光のしずくをあらわす。
■ポインセチア
赤と緑のクリスマスカラーなので、アメリカの種苗会社が導入。
■ヒイラギ
イギリスからクリスマスの習慣が伝わった際、神聖(holy)をヒイラギ(holly)と混同したためだと思われる。

◇高校講演会◇

10月27日、ジャーナリストの池上彰氏のお話を伺いました。「ニュースの現場でぼくはこう考えた」という演題で、NHK「週刊こどもニュース」の制作時のエピソードなど、記者やキャスターとしての体験を臨場感あふれる語り口でお話くださいました。高2生徒の感想文をご紹介します。

伝えるということ

高2

今回講演をうかがった池上彰さんは、とてもお話が上手でどんどん引き込まれていく内容だった。子供ニュースの裏話から始まって報道に関する話まで、池上さんが“人に伝える”という仕事に、熱意を持って真剣に向かい合ってこられたのだ、ということがよく分かった。
子供ニュースは、子供にも分かるように一つ一つの言葉に試行錯誤を重ね、周到な準備をしたものがあの短い番組の中に収められているということには驚いた。そうして作られた番組が、子供だけではなく大人にも愛されていたということは、池上さんもおっしゃっていた通り、いかに世間一般のニュースが分かりにくいか、また、私たちが知らず知らずのうちに“説明する努力”を怠っているのではないか、ということに気づかされた。
固定観念や当たり前と思っていることを分かりやすく相手に伝えるということは、様々な偏見などを見つめ直すことにもつながるのだと思う。例えば、長野、東京間の新幹線を“結ぶ”という表現を言い換えるなら“東京から長野へ”と自然に思ってしまった。しかし、それは東京本位の考え方なのだと指摘され、自分のそういう見方に気がついた。同じようなことは気づいていないだけで数多くあるのだと思う。また、子供たちのとっぴな発言には笑ってしまったが、はっとさせられる見方も多かった。
もう一つ印象に残った話は、記者として津波の犠牲者の方たちの取材をされたときの話だ。子供を亡くした父親が雑木林に向かって一人泣いていた話、そういう悲劇を防げるかもしれない報道の役割、ただ情報を流すというのではなく、その行為が人の命を救うこともできるのだという言葉には感動を覚えた。他にもスポンサー事情に関してなど、とても発見することの多い講演をしてくださった。軽快な語り口だったが、報道の世界というものをぐっと身近に感じ、考えることのできる一時間だった。

◇授業紹介(中3国語)◇

小春日和の公園で吟行をしました。それぞれ思い思いの方法で季節を感じ、たくさんの俳句を作りました。

 

公園の柿の木にまだたくさんの実が残っていたが、見ていると小鳥が集まってきて柿の実を食べ始めた。せっかく残っていた果実も半分になって木にぶら下がっていたのが少し切なくて印象的だった。

 

 

秋の終わりころに、道の脇に集められたパリパリの枯葉を踏んで歩くのが好きなので、その気持ちを句にしてみた。

 

 

公園で相当手が冷えたが、そんな手で触った鉄の手すりはもっと冷たくて、こんなに冷えた手でもまだ物に分け与える熱が残っていたのだなぁ、と思った。

 

 

空の水色がとてもきれいで、どこまでも広がるようだった。

 

 

真っ赤な楓の葉が寒そうに見えた。

 

 

枯れていない常緑樹も風が吹けば葉がなびく。その姿が、冬の寂しさを思っているように見えたので。

 

 

いちょうの落ち葉で黄色い絨毯のようになった地面はもったいなくて、とても申し訳ない気持ちで歩きました。

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