体育祭が実施されました

5月30日〈金〉に千代田区の外濠公園にて体育祭が行われました。風の舞う、快晴の空の下で、各学年の生徒は、暑さと砂埃に負けず、一生懸命競技、応援やマスゲームに取り組み、練習の成果を発揮しました。
中2の学級日誌より、体育祭の様子を紹介します。

生徒応答礼拝

女子学院では、学校生活の中での一番大切な時間として毎朝の礼拝を守っています。月・水・金は高校生が、火・木は中学生が、講堂でそれぞれ三学年の礼拝をしています。講堂礼拝の日以外は、HR礼拝や小講堂で学年礼拝を守ります。

礼拝は教師などが担当することが多いのですが、生徒が各種の修養会や、ひろしまの旅、ボランティアなどに参加した感想を話すこともあります。また、卒業を控えた高3の生徒に女子学院生活を振り返ってのお話をしてもらうこともあります。

最近の講堂礼拝で、プロジェクトA.A.(アジア・アフリカ勉強会)に参加をしている生徒の応答礼拝が行われました。

6月24日に国際飢餓対策機構の田村・治朗先生をお迎えして、「プロジェクトA.A.~アジア・アフリカの未来を考える」会が宗教センターにて行われました。

6月29日(水)と30日(木)の生徒応答礼拝でのお話を紹介します。

今回のプロジェクトAAでは、日本国際飢餓対策機構の田村治郎先生をお招きしました。関西弁で気さくに冗談も交えながら話して下さり、ちょっとしたゲームもしつつ、食料問題というテーマで講演をしていただきました。私達が普段食料、食事に関して悩むといえば、大体何を食べようかという問題についてだと思います。ステーキかカツ丼かパスタか寿司かどれを食べようか。全部食べようか。といった悩みです。しかし、先生が話の中で紹介されたのはいずれも、どれを食べようかではなく、今日は食べられるだろうかと切実に悩まなければならない人達でした。その内の一人の少年の話を紹介したいと思います。彼はイリという名の男の子で飢餓対策機構のスタッフが現地に赴けば、笑顔で走りよって出迎えてくれる明るい子だそうです。ある日、スタッフが彼のもとを訪れると、いつもより元気がない。事情を聞くと、もう何目も食事をしていないらしい。そこでスタッフが偶然持っていた小さなパンを彼に分けると、その場で食べるかと思いきや、家にそのパンを持っていったのです。スタッフは追いかけて様子をみると、その少年は自分も食べていないにも関わらず、自分の弟と妹にそのパンを先に分け、最後に自分が小さな欠片を食べたのだそうです。彼と同じことが私には多分できません。彼よりも豊かな生活を送り、分け合えるものがいくらでもあるにも関わらず。貧しい中にいても、自分のものを人と分け合うことを忘れない彼を尊敬します。私など、物が増えれば増える程、それを分け合うという考えは薄くなり、逆にそれらに固執するようになっていってしまっています。物質的には彼の方が貧しくても、精神的に貧しいのはむしろこちらのほうなのかもしれません。貧しい人に分け合うことがなかなか出来ないでいるのですから。
けれど、JGの中では私達は友人達と様々なものを分け合っています。授業では知識を分け合い、そこで面白いことがでてくると笑いを皆で共有したり、また、昼休みにお菓子や昼食のパンなどを分け合ったり、体育祭や文化祭ともなれば作業や練習を通して、苦労や努力を分かち合ったりする事もあると思います。日々のJG生活の中でそれらを分け合うのは、分け合う事で個人だけではなく、皆が楽しくなれる上に.互いに成長も出来ることを意識せずとも知っているからです。しかし、私たちはJGという共同体の中で分け合うということはできますが、その範囲を日本、世界と広げていくとやはりその限りではありません。例えば今回の東日本大震災において、JGでも募金が行われ、その募金以外でも義援金や物資を送った人もいるでしょう。こうして形あるものはまだまだ不足もあるかもしれませんが、ある程度分け合うことができたと思います。けれど、被災者の家や職や家族を失った悲しみを受け止め、彼らの心に寄り添うことはなかなか難しく、イベントを自粛し、テレビで幾ら「がんばろう!」と叫んでも、どこかに虚しいという気持ちが残ります。また、世界の貧しい国には物資や資金を送ることすらままならず、田村先生は日本の発展途上国へのODA(政府開発援助)が本当に必要な所には行き届かないということをおっしゃっていました。
なぜ私達は隣に座る友人とならたくさんの物を分け合うことができるのに、離れた所に住む苦しみや貧しさの中にいる人達とはそれができないのでしょうか。その理由は距離の問題だけではなく、心の問題だと思います。初めに話したように私たちは自分のものに執着してしまいます。また、人を助けようと考えた時、知らず知らずの内に線引きをしてしまっているように思います。同じ共同体に所属するこちら側のひとには手助けをするけど、ここから外の人には手を差し伸べない。内側にしか目を向けていない寂しい考えだと思います。先ほど触れたように、東日本大震災で私達は東北に支援をしています。そして、それと同じように東北は外国からも多大な支援を受けました。国境を越えて助けあうことができる、そしてその事がいかに私達を力付けたかを実感します。
私達は心に余裕がないばかりに、つい自分もしくはその所属する組織さえよければと考えがちで、その外にいる人たちにっいても考えることを忘れてしまいます。自分や自分の仲間だけを助けるために内側に向いていた手を開いていき、いくつもの枠を超えて同じ人間としてその手を多くの入と繋ぎ、助け合っていけたらと思います。

 

 なぜ、この人たちだったのだろう。どうして、何の罪もない人たちが、こんなにも苦しまなければならないのだろう。3月11日、あの大震災のあと、ニュースや新聞を通して被災者の状況を見聞きするたびに、この問いが私を捕えて離しませんでした。私はこうして今まで通りの生活を送っているのに、こんなに近くで今も、大切な人や物を失い、衣食住もままならずに生活している人がいる。世の中は不条理で、残酷だと思いました。そして、この「どうして……」を考え続けるうちに、気づいたのです。私が普段意識していないだけで、世界中にはたくさんの不条理が存在するということに。生まれた場所がちがう、それだけで、働かなければならない子供がいて、銃を持たされる子供がいる。満足に食べられない人がいて、病気になっても治療できない人がいる。数えきれないくらいの不条理が、世界中を覆っているのです。
みなさんは、宗教委員会の中にアジア・アフリカ係という係があることをご存知でしょうか。この係は、宗教委員の中の各学年2人ずつ、計10人で、アジアやアフリカの国々やその諸問題について考え、年に数回、講師の方をお招きした勉強会を催しています。昨年度は子ども兵士についてや中国についての問題を扱い、現職の国連職員の方もお招きしました。今までは「アジア・アフリカ勉強会」と称していましたが、より親しみやすくインパクトのある名称にしようと、今年度から「プロジェクトAA」として活動してします。今日は、先週6月24日の会での収穫をたくさんの方々と共有し、プロジェクトAAについてより多くの方に知っていただこうということで、少し感想をお話させていただこうと思います。
今回のテーマは世界の食糧問題についてでしたが、私がお話の中で最も印象に残ったのは、この言葉でした。『システムを変えていくことも大切だが、それにからむ人の心が悪ければ、意味がない。何よりもまず人が変わらなければならない。』世界中の飢餓人口約10億人。1日1ドル以下での生活を余儀なくされる絶対的貧困層12億人。7人に一人が食べるに事欠いているという事態の元凶は、大きく分けて3つあります。1つ目は、異常気象や自然災害などによる凶作。2つめは、食糧が投機対象として扱われているということ。先進国のバイヤーが現地の生産状況に関わらず、バーチャル上で食糧を買いつけ、どんどん値段をつり上げていってしまうのです。日本などの国においては5円、10円程度の値上げが生死に関わるようなことはありませんが、そもそも1日1ドルにも満たないお金で生活している人たちにとっては、わずかな値上げも死活問題なのです。たとえその国で農耕が盛んであったとしても、生産された食糧が先進国に搾取され、現地には行き渡らない、という矛盾が起きているのです。
そして3つ目の原因は、先進国による資源の争奪です。アフリカの国々が、その広大な土地と豊富な資源にも関わらず、今なお深刻な食糧問題に悩まされているのは、アフリカが持つ土地や資源といった潜在的な可能性がそこに生きる人々のために用いられていないからなのです。私たちはよく、「今日は何を食べようか」と考え、あれこれと思い悩みます。しかし、世界中の7人に1人が、「今日は何か食べられるだろうか」という次元で苦悩している、そしてこの現状を生んでいる最大の原因は、人種差別や利己心、そして無関心といった、人の心にあるのです。
食糧問題は、世界の大きな不条理の1つです。人種がちがう、生まれた場所が違う、それだけで、こんなにも多くの人々が飢餓に苦しみ、人間らしい生活を送れずにいる、このことを肯定する理由は、どこにもありません。
それでは今、私たちに何ができるのでしょうか。私は、世界に目を向け、興味を持ち、知ろうとすることなのではないかと思います。個人という小さな規模で今すぐにできることは限られていますが、それでも、与えられた食事に感謝して大切に食べる、募金をする、フェアトレードの商品を買う、など、ささやかではあっても確実に貢献していく道はあります。そして何より、「関係ない」と切り捨てず、関心を持ち続けること。問題意識を持ち続け、悲観視することなく前向きに問題と向き合うこと。このことが、大切なのだと思います。
世界が抱える問題の中には、人の力ではどうにもならないこともあります。でも、私たちの力で変えていけることも、きっとたくさんあるはずです。だから私は、希望を持って、自分に何ができるのか、どう生きるのか、考えていきたいと思います。

夏休みの学校行事

中1水泳教室 7月18日~7月20日
高1ひろしまの旅 7月18日~7月20日
高3修養会 《前半》7月16日~7月18日
《後半》7月18日~7月20日
中2ごてんば教室 《前半》7月21日~7月23日
《後半》7月23日~7月25日
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