創立記念日//生徒作文より

女子学院は、2018年10月24日に創立148年を迎えました。

創立記念日を迎えるにあたって、「創立記念日に向けて」と題して中学は山田まどか氏(建築家)、高校は小林由美子氏(保育者・カウンセラー)に在学中の生活と今のお働きについて礼拝でお話していただきました。

そして創立記念日には、礼拝後に当校と関係の深い団体から、中学校は三吉信彦氏(好善社代表理事)、高校は卒業生でもある川野安子氏(日本キリスト教婦人矯風会前理事長)をお招きし、講演をしていただきました。

   

山田まどか氏〈96年卒〉  小林由美子氏〈75年卒〉 三吉信彦氏      川野安子氏〈57年卒〉

 

ある高2の生徒はそのお話から、自身が国語の課題の取り組みとして行った作家研究のことを想起し、さらに自らの学びについても深めました。その生徒が率直な心情を綴った文章を、ご紹介します。

 

※作家研究

女子学院では、高2の現代文の授業で作家・作品研究を行います。生徒は一人一人興味のある作家、作品を選んで、研究した内容を発表しあいます。この活動は、文学に対する知識と学びを深めるものとして行われています。

 

<高2>

矯風会は様々な人々に支えられて誕生し、活動し、現在まで続けられてきたようだ。

講演の中で、女性支援施設の方がその支援者に、「この活動は矯風会だからできるのよ、だから頑張って。」と言われたというエピソードがあったのだが、なぜ「矯風会だからできる」と誰かに思わせることが出来たのだろうかと考えた。恐らく、命をかけて、死を覚悟してまで弱い女性たちのために尽くしたいと思い、実際に行動に移した初代会長の矢嶋楫子の強い覚悟が、その後の矯風会の方々や当時の女子学院生にも受け継がれ、その覚悟からくる揺るぎない信念の力と相手を思う優しさが周りの人にも伝わって、「矯風会だからできる」という確信に繋がったのではないだろうか。

ところで、今では女子学院生が積極的に矯風会と活動することはあまりないが、矢嶋楫子時代の女子学院生は矯風会の一員として熱心に活動し、政治的運動にも関わっていたようだ。この話を聞いて、現代文の作家研究で担当した、丸山眞男のことが想起された。丸山眞男とは、日本政治思想史を研究しつつ、政治学者としても活躍し、戦後日本に広く影響を与えて民主主義思想をリードした人である。評伝などを読み、丸山の世代は、10代の時から自分の信念を強く持ち、具体的な活動をしたり、意識を高く持って学問に励んだりしていたことが分かった。友人によると、青春期の壮絶な体験や戦争という時代の空気の中で、丸山は正しい考えを持つだけではなく実際に行動に移し、同調を重んじる日本においても時には意見の相違を恐れず議論を戦わせ、衝突することの重要性を見出していたようだ。さらに、その後は、戦争や弾圧から学問を守るために共に戦い、亡くなっていった同志たちの為にも、生き残った自分は学問を究めるのだ、と文字通り命をかけて学問に向き合い続けようとしたという。そうした彼の熱意と覚悟は、キリスト教の理念を理想にとどめるのではなく実践する矯風会の方々の想いともつながるものがあるように思った。

それに比べ、現代の私たち高校生にとっての「勉強」は本当の「学び」になっているのだろうか。今の高校生に足りないものは何だろうか。

そのひとつとして、社会や政治に対する関心、問題意識が相対的に低下してきていることが考えられる。「スマホ」という文明の利器を持ちつつもSNSを眺めることに利用するくらいで、今世界では何が起き、何が問題になっているかを調べ、思索する時間を設けることはなかなかしない。持てる自由時間の大半をスマホにつぎ込む私たちは、新聞や本を読んだり、家族と政治について話し合う機会もあまり持てていないように思う。そのため、今現代社会で何が起きているのか、それにはどういう歴史、経緯があってそうなっているのかを知らない。日々の「勉強」は一つ一つ個別の知識としてあるだけで現実味を帯びず、かといってバラバラの知識と経験を体系化するような学びの意欲もあまり上がっていない。こうして、自分の視野を狭めてしまって、結果的に昔の高校生との「意識の差」が生じているのではないだろうか。

自分自身もまさにその状況にあるのだが、そうは言うものの、高校生になってからの私は少し変わりつつある。平和学習である「ひろしまの旅」を経て、中学の時よりも深い内容の授業や礼拝、講演会などを聞くうちに、本当にそれらだけがすべてで、正しい見方なのだろうかと疑問が芽生えた。新聞やテレビも含め、偏ったある一面からしか世の中を見せてくれないように見える周りの大人たちに不信感を持つことも増えてしまった。一方で、私自身も所属するコミュニティによって発言のスタンスが異なっていることに気づき、意図的にならまだしも、知らず知らずのうちに言動が周りの環境から多大な影響を受けているという自分の脆さに恐怖を覚えた。しかし、成長するにしたがって自分の中にただ一つだけの軸が形成されていき、その軸でしか物事を測れなくなってしまっていく自分もまた許せないという葛藤を抱え、思い悩んでいる。そのような状況の中「ある場においての共通認識は必ずしも絶対的なものでなく、世の中にはそれ以外にも様々な思想や視点が溢れている」ということに次第に思いが及ぶようになった。現段階では自分が最終的に何を追い求めているのか、明確な答えは出せない。しかし、今いる環境に安住するのではなく、学び足りない部分は自分で補い、何が正しく何が間違っているのかをその都度検証しようと頭を使い続けること、常に自分を外側から客観視し、自分の軸を自覚し続けることが、私の抱える葛藤の解決の糸口になるのではないかと最近は考えている。だからこそ、作家研究の対象には丸山眞男を選び、また出来る範囲での小さな努力を重ねているつもりだ。

自己との対話の時間が許されている高校生の今、女子学院での学びを自分のものにしつつ、より豊かで生きる甲斐のある人生を築いていけたらいいなと思う。

 

 

 

一覧に戻る