6月23日、平和講演会が行われました

今年は『ヒロシマ、60年の記憶』(徳間文庫)著者・近藤紘子先生に「ヒロシマ、71年の記憶 ~心の中に平和を~」と題して講演をしていただきました。近藤先生は、生後8か月で爆心地から1.1キロメートルの場所で被爆されました。講演の様子と、生徒の感想文をご紹介します。

貴重なお話を中学2年生から高校3年生までの5学年で伺いました。

近藤さんが被爆時に身に着けていたベビー服を見せてくださいました。
ご両親が大切に保管されていたということです。
生徒の感想文

今回のお話を聞いて特に印象的だったものが2つある。1つは原爆投下直後、妻と娘の無事を心配した紘子さんのお父様が、周りの動けない人々の「助けて」という叫びを振り切って家路を走った際に、自分の家族を優先してしまうエゴイズムに対する罪悪感や謝罪の念を抱いたという話だ。2つ目は原爆を投下した機体の副操縦士のルイスさんは、投下後の広島市の様子を見て、「神よ、我々は何ということをしたのか。」と語り、その後精神病院に入ったという話だ。この2つの話に共通して言えることは、戦争で生き残った者は、勝った方も負けた方も後悔や罪悪感、償いの心を植えつけられるということである。戦争は生存者に生き残った者としての重い責任を人生において課す。
さて、戦争とは特に国家間の争いのことである。国を動かすのは人であり、人を動かすのもまた人である。このことは良くも悪くも一人の国民の行動が、いつのまにか他人や国に影響を与えるかもしれないということに繋がる。これは一方で、私たちはいつの間にか他人や国からの影響をたっぷり受け、支配されているかもしれないということだ。この「いつの間にか」が非常に恐ろしく危険である。「いつの間にか」進んでいく道では、間違いに気づきにくく、一度狂い始めてしまった歯車は、過ちに気付いて後悔する頃には元に戻すことはできない。私たちの無意識にする行いが、違う誰かを、あるいは未来の自分を支配する可能性は十分にある。そこで、私たちが道を踏みはずさないために必要になるのが、過去の戦争で生き残った人たちの声を聞くことなのだと思う。戦争を体験した人にしかわからない思考や状況を知ることで、今と昔を重ね合わせることができる。昔のある出来事と今が似ているな、と少しでも接点を見つけることができたら、過去の失敗に目を向け、同じ過ちを繰り返さないよう考えることができる。そうやって一人ひとりが過去と照らし合わせて今を考えていくことが、「いつの間にか」起こる過ちを減らし、よく練り上げられた社会を作ることに繋がるはずだ。

(高一生徒)

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