2012年 新年のご挨拶

院長 田中弘志

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。昨年は3月のあの東日本大震災以降、長く、重苦しい日々を過ごしました。その重苦しさはまだまだ続きますけれども、それでも私たちは新しい年を迎え、新たな希望をもってこの年を歩み始めました。この年が昨年よりは少しでもいい年になりますようにというのが多くの人々の素直な願いであろうと思いますし、私どもも心からそう願っております。
昨年東日本を襲った大地震と津波、そしてそれに伴う福島第一原子力発電所の事故は、日本にとって未曾有の大災害となりました。特に原発事故による放射性物質の拡散は、それが目に見えないこと、それだけになかなか全容が特定出来ないことによる不安が、日本全体に暗い陰を落としています。それと同時に、一旦事が起こった時に制御不能となる可能性が極めて高い原発というものの危険性を再認識させられ、まだ本格的な解決策が見つかっていないという核廃棄物の処理の問題も含めて、我が国の原子力政策を考え直す大きな契機になったとも言えます。昨年の災害は地震や原発だけではありません。台風がもたらした集中豪雨による各地の土砂災害も甚大なものがありました。また日本だけでなく世界のいろいろな所で地震やハリケーン、大洪水、その一方では大かんばつや飢饉などのニュースが報道されました。さらには自然災害だけでなく、アフリカや中東地域における政変や内紛、ヨーロッパの信用不安で増幅される世界的な経済不況などもありました。これら一連の出来事を通して私たちは、自分たちの生き方を真剣に問い直すことを迫られました。私たちは何に最大の価値を置くのかがひとりひとりの問題として厳しく問われることになりました。震災後の電力不足に対処する中で、私たちはささやかながら我慢すること、耐えることを教えられました。自然災害は私たちには止められませんけれども、私たちが等身大の人間のありようを回復し、身の丈に合った生活をこころざすことは出来ます。無自覚に、欲求にまかせて消費するだけの生活を見直すことによって、自然体系を破壊し続けるような行為にいくらかでも歯止めをかけることは出来ます。何よりも今は人間が自分の力で全てをコントロール出来るというおごりを捨てて、人間を越えた大いなる存在に対する畏敬の念を大切にすることが求められているような気がします。
一方昨年は大きな悲しみや苦しみの背後に、人々の心のつながりや温もりがいつも以上に強く意識された年でもありました。日本国内はもとより世界の数多くの人々が、まだ会ったこともない被災地の方々のために祈りを合わせました。たくさんのボランテイアがあるいは現地で汗を流し、あるいは背後にあってこれを支えました。私たちの学校でも、同じキリスト教学校の被災生徒たちの学業継続を支援するために、生徒会、教職員、保護者の祈りがささげられ、さまざまなイベントを通じて義援金も集められました。今年も被災地のことを覚えて、祈りと支援の輪を広げていくことが求められます。忘れないこと、継続することが大切です。人間の力には限度があり、また人間の思いは時に極めて利己的で自己中心的なものがありますけれども、一方において私たちには、他者を思いやる美しい心も与えられています。時には自分の命の危険さえ顧みずに他者を助けようとする尊い気持ちも与えられているのです。それは人間が神から与えられている恵みだと私は思っています。
旧約聖書のエレミヤ書の中に、預言者エレミヤが神の言葉として伝えた次のような言葉が記されています。「私はあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」聖書を知る私たちは、どのような困難の中にあっても行き詰まることはありません。それは私たちの救いと希望は神から与えられること、そして神は試練とともに、それに耐えられるように、逃れる道をも備えていて下さることを知っているからです。この年も私たちは目を高く上げて、希望を抱きつつ歩みたいものだと思います。

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