2023年度が始まりました

女子学院では年度ごとに標語聖句が選ばれ、生徒が登校して一番初めに目にする場所に掲げられています。今年度も、書道班の生徒が書いてくれました。今年度も、一日の初めから、聖句を心に留めて過ごしていきたいと思います。
4月7日に入学式が行われました。新たに入学した中学一年生と共に、今年度も生徒・教職員一同、皆で助け合って歩んでいきたいと思います。

高校入学式で高校一年生の述べた入学のことばを紹介します。

春の訪れを確かに感じる今日、高校入学式を無事に迎えることができました。三年前の中学入学式ではかないませんでしたが、今年こそ、春の季節と共に入学式が行われることに感謝しています。
これまでの学校生活を振り返ると、女子学院に入学し、それぞれの考えをしっかりと持つ同級生を目の前にして、友人の意見の方が優れているから、私の意見は求められていない、と自分勝手に考えてしまい、声に出して伝えられない事が多かったように思います。友人が発言するのを待ち、ただそれに同調するだけでした。揺るがない意志を持つ友人と比較しては、周りに圧倒され、時には自信を失うこともありました。
私が中三になって初めて所属した委員会でも、最初の頃は話し合いにおいて最適な意見を求められているように錯覚し、私なりに出した意見が果たしてその場にふさわしいのか、と考えてから発言する事がありました。中学受験で、正解とされる答えを導きださないと、よしとされないような経験が積み重なった結果、いつからか、考えを述べる時には周囲の人に認めてもらう事が目的となっていたのだと思います。
しかしある時、クラブの同輩と話し合いをした際に、「一人最低一つは意見を言おう」と言われた事があります。そこで初めて、発言の中身ではなく発言することそのものにも意味があるのだと分かりました。また、話し手が誰であれ、人の意見を軽んじることはせず、どの人の意見も等しく扱われる事が、この学校では当たり前なのだと気付かされ、自分の思いや考えを素直にぶつけていいのだと思えるようになりました。
今なら分かりますが、私はこの三年間、自分のあるべき姿や理想像に固執し、正解を探しながら過ごしてきました。意見がなかなか言えないことも、何事にもおいても行動する前に尻込みしてしまうことも、それが理由だと思います。より良い自分を作り上げるために、知らぬ間に個性を消し去り、適切だと思う型に自分を当てはめた生活をしようともがいていました。今振り返ってはその時の自分の行動を後悔していますが、それを通し、ありのままの自分でいることが何事においても一番良いのだと気づくことができました。
そして、正しさを求めるあまり自分に向き合わなかった私は、高校三年間において、この自分にどんな賜物が備えられているのかを見つけることが、課題だと思います。中学三年間では、朝の礼拝を通し、神様が入学時にこの女子学院へ私達一人一人を選ばれ、各々に見合った賜物を与えて下さっていることを知りました。自分という存在は、分かりきっているようで、私でさえ完全に理解するのは難しいことだと思いますが、成績などの目で見える物差しで他人と比較し自分の価値を定義するのではなく、自分を見つめることで初めて、神様が与えて下さった私だけの賜物を探っていくことができるのだと思います。
しかし、何が賜物なのかをすぐに見出すことはできないと思います。もしかしたら、女子学院にいる間に見つけることはできないかもしれません。それでも、中学の間で身につけた、授業から学んだことを自分のものにするといった能動的な学びの姿勢や、主体的に学校生活に参加して行く心構えを忘れずに、高校での学びや人間関係を通して、私なりに賜物を探して行こうと思います。そして、その賜物を磨いていくことによって、社会の中で、他者のために自分の力を活かせるような視点を持ち、着飾らない自分と向き合っていきたいです。
最後に、高校での学校生活では、勉強やクラブで多忙な日々を過ごす中でも、何よりも友人と物事を作り上げることを大切にしていきたいと思います。今までの三年間の活動はコロナと切り離すことは出来ず、当初は思い描いていた生活とは程遠いものでした。しかし、会えない時があるからこそ、この女子学院で素晴らしい友人と出会えたことにありがたみを実感する事が出来ました。どんな時も一緒に話し合い、支え合ってきた友人は、私の学校生活でのかけがえのない存在です。そんな同学年の仲間達と、高校という新しい学びの場でともに学校生活を創り上げていくことが楽しみで仕方ありません。
今日を迎えるまで私を支えて下さった全ての方への感謝を忘れず、これから始まる三年間の日々に私なりに誠実に向き合っていくことを決意して、入学の言葉といたします。

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