女性弁護士のパイオニア

2024年度前期の連続テレビ小説(NHK)が『虎に翼』に決まりました。主人公のモデルは日本で初めての女性弁護士の一人である三淵嘉子。戦後は裁判官を目指し、後に女性初の裁判所長も務めます。
女子学院の関係者にも女性弁護士のパイオニアがいます。1932年卒業、1993年から2000年までは理事長の任にあった渡辺道子です。渡辺道子は1947年に弁護士登録をし、戦後初の女性弁護士となりました。特に女性に向けて新しい家族法の普及活動に力を注ぎ、1950年には少数派であった女性法曹(判事、検事、弁護士、法学研究者)をつなぐ場として日本婦人法律家協会(現在の日本女性法律家協会)を立ち上げました。同協会の会長を二度務め、日本YWCA理事長なども歴任しました。
1985年に女子学院の保護者向けに開かれた講演会で、道子は自ら以下のようなエピソードを紹介しています。

私が法律の勉強をしたいと言い出しますと、家族も親類も仰天してしまい、親類の一人など、一丈(注:現在の3メートル強)に及ぶ巻紙に墨で書いた手紙で、諄諄(じゅんじゅん)と不心得を諭してくれたほどでした。

法曹を目指す女性に門戸が開かれたとはいえ、世間体を気にした家族や親族の猛反対にあった道子。キリスト教の信仰を支えとして「廻り道」を決意します。東京女子大学に進学しますが、卒業する頃になってもまだ法律を学ぶ許しが出ず、さらなる廻り道として名古屋のYWCAに就職します。その後も親類からの反対はなかなか解けませんでしたが、道子の向学の志はかたく、初めは明治大学専門部女子部の聴講生として、その後1940年には早稲田大学法学部に入学がかない、法律家の勉強を始められることとなりました。
しかしながら、道子の歩みをはばんだのは、女性が活躍しにくい当時の風潮だけではありませんでした。当時は戦時色が次第に濃くなっていった時代であり、同級の男子学生は戦地に赴き、女子学生は挺身隊に動員されました。受験資格者が減ったことにより高等文官司法科試験(現在の司法試験)も1944年、1945年と2年連続で停止。試験に合格した道子がついに1947年に弁護士登録をしたのは30歳をこえたときでした。
道子の弁護士登録の直前の5月3日には新しい憲法が施行されています。人間の尊厳と男女の本質的平等をうたい第9条で戦争放棄を宣言した新憲法にいたく感動し、弁護士としての人生は平和憲法を守るために捧げることを決意しました。新憲法や改正民法を普及するために、弁護士としての本業の合間に全国各地に足を運びます。
女性弁護士の先駆者の一人として女性の権利の実現を目指し、生涯を尽くした人生でした。

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