YWCAカンファレンスの報告礼拝を紹介します
9月25日(木)にYWCAカンファレンスの報告礼拝が行われました。中学三年生の生徒の礼拝を紹介します。
「YWCAカンファレンスに参加して」
八月六日から八日にかけて、「世界につながるいのちのチカラ 小さなわたしにできること:多様性・尊厳・希望」というテーマのもと、YWCA全国カンファレンスが行われた。北は北海道から南は福岡まで、全国から二十校百二十人の中高生が集まった。講演会や生徒の交流会、十二のテーマに分かれてのフィールドワーク、そしてその内容を共有する全体会などのプログラムを行った。
この中で、私にとって今回のカンファレンスで学びの主軸となったのが「エンパシー」という言葉である。これは主題講演会で、小説家であり在日コリアンである深沢潮さんが話された言葉である。エンパシーとは、相手が置かれている状況や心情を自己に投影し、その人について理解しようとする知的能力のことだ。
人は自分と同じ属性を持った人の集団にいようとし、自分と違う人を遠ざける。そして安心感や優越感をもつためにマジョリティにいたがるのだ。社会には、マジョリティと「違う」からと言って排除されている人々がいる。深沢さんの講演ではご自身やご家族の経験を通じて在日コリアンが今まで受けてきた差別についてお話を聞いた。また私のフィールドワークではイスラム教・東方正教会・ユダヤ教の三つの聖堂を訪れ、それぞれの宗教について知るとともにそこに通う人々の存在を知った。他のフィールドワークの発表では慰安婦問題やハンセン病など、普段の生活ではなかなか知ることのない、社会的に知らされてこなかった人々について知った。マイノリティはしばしばマジョリティの不満をぶつける嫌悪の対象となり、それが差別に発展していくという現実がある。
エンパシーは、自分と一緒だから共感するのではなく、違う人だからこそその立場になって考えるという点が重要だ。そして相手の立場になって考えるためには、主語を大きくしないことも大切、とも深沢さんは講演で話されていた。「○○は…」のように主語を大きくしてしまうと、そこには一般化による断定と、偏見が生まれてしまう。メディアの報道も例外ではなく、その情報は偏っていることがある。そして多くの場合伝えられるのは、人々の関心を惹きやすい悪い面が強調されていることが多いように思う。それをうのみにして相手をきめつけて判断してしまうのは危険である。
エンパシーの始まりは、まず相手を知ることだと思う。知ることで気づくことや感じること、考えられることがある。だからこそ、今回のように直接話を聞いたり場所に行ったりする機会を得たことはとても有意義なことだ。テーマにあるように、小さなわたしたちにできることはまずさまざまな人のことを知ることだ。そして拒絶せず共感しようとすることが大切である。
カンファレンスではこのような学びを得ることができ、私にとって貴重な経験になったと思う。そしてなにより、全国から集まった中高生と交流したり、班員同士仲を深めたり、美味しいご飯を食べたりと、とても充実した三日間であった。