高三修養会報告礼拝を紹介します

高三修養会が7月17日~19日に行われました。9月19日に行われた報告礼拝を紹介します。

 

「女子学院の出口」とも呼ばれる高三修養会は想像以上に大きな学びを得るものだった。今回の修養会のテーマは「quo vadis」、つまり私たちはどこへ行くのか、という問いについて3日間話し合った。忙しい毎日では考えられないようなことを時間をかけて考え、普段は聞けないような同輩達の言葉に耳を傾ける機会というのは、本当に貴重なものだったと思う。1日1日を通して、自分の中の凝り固まった固定観念が崩れていくのを感じた。

 修養会初日の発題にて、何人かが「周りの期待に応えないといけない」「敷かれたレールを歩いているだけな自分が嫌になる」と言っていた。最初は、自分とは全く違う価値観だな、なんて思っていた。私は周りの期待に応えないとなんて思ってないし、敷かれたレールの上でも全く構わない、だって私は何があっても私が好きなんだからと。しかし、塩谷直也先生の講演中、先生の一つの発言で、私はあることに気づいてしまった。先生は講演の中で、「自分を好きになる必要はない、世界を好きになればいい」と仰った。衝撃だった。昨今、本屋では自己肯定感を上げる方法をテーマとする書籍が並び、テレビでは自身を高く評価するナルシスト系の芸能人が自己肯定感の高さに称賛を受け、憧れられている。そんな中自分を好きにならなければ、好きでいなければ苦しい人生で、不幸になるのだといつの間にか思い込み、自分が自分を好きでいることが義務化してしまっていた。私は無意識のうちに、自分は自分を好きでいなければならないと心に強制してきたのだ。故にこの言葉に衝撃を受けたのだ。自分を好きになる必要はない、というのは革新であり、私の心の中を本当に軽くした。そして、私も無意識のうちに周りに流されてしまっているのだなということを強く実感した。

 他にも塩谷先生の話の中で気付かされたことはある。その一つが、「現在が人生の予備校化している」という話についてだ。高校時代は大学受験準備に忙しく、大学時代は就職に向けたインターンシップなどに忙しく過ごす、というように、今という時が常に未来に対しての準備期間となってしまっている、という内容だった。この話を聞いた時、私はギクリとした。あまりにも図星だった。確かに自分は、いつも明日、来週、来年と未来のことばかり考えている気がする。明日上手くいかなかったらどうしよう、来週できなかったらどうしようと将来の失敗を想像して眠れない日々も多々ある。その失敗が、後にずっと後悔するようなものになるのが怖いのだ。しかし、先生は「選んだ道を後悔しないことは難しい。けれど、自分の選択を正解にする生き方はできる」と仰った。そう思うと、毎日を過ごすのがもっと楽になるような気がする。現在を生きる、というのは未来のことを一切頭によぎらせず生きるというのではなく、未来のことで心をすり減らし、現在を見なくなるのをやめるということではないだろうか。この話は全体会でも「将来のために現在苦しむのは正しいのか」という議論として提示された。私自身は正しい派として発言していたが、反対側の意見も本当に納得させられるものだった。この議論は、誰もが認める明確な答えを出すことを想定しているものではなかったが、そのおかげで自分で考えられる幅も広がった。

 この修養会を終えて、この議論に対しての私なりの答えはこれから見つけていくものなのだと思う。人間は未来を見ざるをえない生き物だ。それでも、少しの間未来から現在に目を向けることで「人生の目的」ではなく「人生の意味」を見出せるようになるのではないか。塩谷先生は仰った。「導かれるのも悪くはない」と。時に未来を見つめ、時に流れに導かれ、これからも答えを探しながら生きていこうと思う。

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