夏休みの学年行事の報告

◇高3修養会◇

高3は7月16~20日に前後班二つに分かれて御殿場寮で修養会の時をもちました。経堂北教会牧師の岸俊彦先生を講師にお迎えして「見えてきたこと、まだ見えぬ先」というテーマで行いました。女子学院生活最後の宿泊行事でもあり、みな心をこめて参加していたようです。ともに学んだ5年余りに育まれた、自分を尊重し隣人を愛する心を大切にしつつ、これからどのように他者と交わり、社会と関わって生きていくかということについて、互いに心を開き活発にディスカッションしました。9月に講堂の高校礼拝で話された生徒の感想を掲載します。

なぜ高三の夏にもなって修養会なのだろう。受験生なのに、二泊三日でディスカッションなんて面倒くさい。実は、私は高三になるまでそう思っていました。高二まではクラブ活動に打ち込んでいたので、卒業する前にぜひ学年全体に関わる仕事をしたいと思って修養会委員になってはみましたが、「わざわざこの時期に」という思いが心のどこかに残っていました。
さて、今年の修養会のテーマは「見えてきたこと、まだ見えぬ先」です。講師には経堂北教会牧師の岸先生をお招きして二回講演をしていただき、四回、合計五時間のディスカッションをしました。講演の中では先生が話してくださった、視力を失ったイラストレーターの話が特に心に残っています。彼は売れっ子のイラストレーターでしたが、絵描きになくてはならい視力がなくなり、奥さんにも逃げられて、まさに人生どん底という境遇に陥りました。すべてを失ったと思っていたそのとき、「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉通り入院先の病院で後に結婚するナースと出会い、彼女の勧めで再び絵を描き始めます。目は見えないから、完成品を確かめることはできないけれど、奥さんの「ちゃんと描けてるよ。」という言葉を信じて描き続け、絵本を出すまでに上達したそうです。実際に絵を見せていただきましたが、プロだった時と比べれば技巧もなく稚拙かもしれませんが、心がこもっていて絵を描くことに対する喜びがストレートに伝わってくるような温かい絵でした。
私は挫折や失敗をまるで世界の終わりのように思う強迫観念にかられて生きてきました。けれどこの話を聞いて、一見下り坂に見える道も、頂上に近づくには必ず通らなければいけない必要な道なのかもしれないと思えました。もちろん成功を目指して努力はすべきだし、努力が報われるに越したことはありませんが、人生には決定的な成功とか最終点というものはありません。自分のベストを尽くし続けて、結果的に過去の自分を含めた現在を受け入れられるように、つまり後悔のないように日々を過ごしたいと感じました。
また、ディスカッションでは五年半のJG生活を振り返る中で、JG生の特徴を良い所も悪い所も含めて話をしました。そこで出たのは、JGでは自分の意見を出すのが当たり前ということです。JGという恵まれた環境では、自分の考えを出すと必ず先生なり友達なり親なりが受け止めてくれます。私はこの学校に入ってから、自分の言葉を出すと答えを返してくれる存在があると気付き、安心して意見を出せるようになりました。もちろん、私より立派な意見を確立している人がたくさんいて、幼稚な自分が恥ずかしく気後れすることも多いのですが、それでも昔と比べればずいぶん進歩しました。けれど、これはJGという自由で居心地のいい環境のおかげであって、より広い社会に出たら言いたくても言えない「場」があるでしょう。それ以上に、言えない性格の人、遠慮深い人もいるはずです。言わないのは自己責任だ、気が弱いんじゃないか、ということもできますが、私も昔そうだったからこそ苦しみを口に出せない人の言葉もくみ上げたい、そういう人も心を開ける「場」を作りたいと思いました。
JGの入り口は中二のごてんば教室で、出口は高三修養会だと言われます。最初に、高三の夏なんて面倒くさいと白状しましたが、終わってみるとJGという居心地の良い空間を出る時期が目前に迫っている時期だからこそ、五年半のJG生活を振り返り新たな世界へ一歩を踏み出す準備をするために、この修養会はあったのだと存在意義を実感しました。

後半の修養会の最後の全体会ではJGで形成されてきた私と、これから社会の中で生きていくことについてというテーマで話し合いました。全体会で友達の色んな意見を聞きながら、私が考えたことについてお話します。
女子学院に入学して私達女子学院生は様々な社会問題について沢山の知識を与えられて、更にそれについて考える時間、発表する場などを与えられてきました。社会問題と言っても種類は本当に様々で、例えば最近特に話題になっている地球温暖化やエイズ、いじめ等といった問題については勿論、話題にされることが少なくなってしまった、被差別部落や薬害エイズ訴訟などの問題についても、この女子学院では一つの社会問題として取り上げています。特に、高2の聖書の授業で一年かけて色々な問題について一人一人が調べて発表したことはかなりの量の知識を与えてくれました。
女子学院生活で得てきた知識は、今の私にとってかなり大きいものであり、また社会的な生活を送るうえで非常に役に立つものだと思っています。でも全体会の時の、友人のある発言に私は非常にショックを受けました。その友人の発言とは、「私達が学校で一生懸命学んできたことは事実だし、それに誇りを持つのは大切だけど、現状に満足することなく、常に上を見て、出来る限り自分を高める努力をするべきだ。」というものでした。
ああ…私には向上心が欠けているんだ。自分から積極的に社会問題に向き合ったことなんかほとんど無かったんだと気づき、今までそんなことにも気づかずに自分に満足して生活してきた自分は何て愚かなんだろうと思いました。自分とほとんど同じ環境で同じような生活をしているはずの友人の発言に気づかされたということで、先生や本などから気づかされることよりもはるかに大きい衝撃を与えられたんだと思います。
私が自分の向上心のなさに気づかずに安穏と生活していたのも、この恵まれた環境が大きな要因でしょう。社会で起きていることは結局自分とはかけ離れた世界の問題だ、としか思っていないことの象徴と言えます。
考えてみると私が今まで得てきた様々な知識やその知識について考えさせられたことは、ほとんど全くと言って良いほど、実生活には応用されていません。講演会や広島の旅などの感想文には抽象的なこと、例えば世界が早く平和になればいいと思うだとか差別、偏見、貧富の差に皆が気づいて、無くなるように努力しなければならないといったことを何度となく書いてきました。
でも私は、そんなことを書いておきながら平和に向けて努力するのも、差別を無くそうと努力するのも、私には関係ないと思っている節があります。というか、関係ないと思っていると断言してもいいくらいです。自分が何か大きな問題に対して努力したところで、あまりにも小さすぎるから、無駄な努力をするくらいなら最初からしない方がいいやと諦めているから、関係ないと思ってしまっているのだと思います。結局の所、私は机上の空論を偉そうに展開させてきただけなのです。
意地の悪い考え方ですが、例えば発展途上国の子供たちに募金をするときに、募金する相手の子供たちのことについて一体どのくらいの人が真剣に考えているでしょうか。募金したことで、貧富の差という社会のややこしい問題について、自分なりに解決させたんだという満足感を得ようとしたり、募金したんだからもう自分には関係ない、義務は果たしたんだと自分を納得させようとしたりしている人は少なからず居ると思います。自分は恥ずかしながら、こういう考えを無意識のうちに持ってしまっているように思います。
恵まれた環境に居ることに慣れて、この環境を当然あるべきものだと思ってぼーっと生活して、今のままで居ることは決して良いことではないでしょう。私はこの夏休みに18歳の誕生日を迎えました。18歳や20歳になれば、自分の意志や意見が尊重されることがどんどん増え、親のもとから段々と離れていきます。いつまでも今までと同じ安定した生活を送ることが出来なくなる可能性だって十分に有り得ます。
でも、私達が今までに得てきた知識や考え方は誰のものにもなりません。大人になったから無くなるものでもありません。そういう今自分が持っているものを活かして、更に沢山のものを得ようと積極的になること、持っているものを発展させようとすることをこれからはしていかなければなりません。全体会で意見が出たように、きちんと働いたり、家庭を守ったり、選挙に行ったりして社会に還元していくことが大切です。私達がこれからどういう人生を歩んでいくかは人それぞれであり、誰にも判りません。でも、私は修養会で気づかされたことを忘れないで、常に向上心を持って生きていきたいと思います。
最後に、修養会では正解のある問題についての議論ではなく、自分なりの答えや、答えに近づく手がかりを考えるきっかけを与えてくれるものです。高3の何もこんな大切な時期に…と思っていましたが、今は、こんな時期だからこそゆっくり友人の意見が聞いて改めて自分のことについて考え直すことが出来た修養会は、非常に実りのあるものだったと思っています。

◇高1ひろしまの旅◇

7月18日~20日、高校1年生217名は、「総合的な学習」の一環として「ひろしまの旅」を行いました。
原爆資料館の見学、碑めぐり、山岡美智子氏、宮崎安男氏による講演、13グループに分かれてのフィールドワーク、被爆証言者の方々との懇談、全体討論会など充実したプログラムの中で、生徒たちは平和への思いを深めました。
以下は、9月の高校礼拝時に発表された生徒の思いです。

私達高一はひろしまの旅に行って来ました。この旅で感じたこと、考えたことを皆さんにお話しようと思います。
私は二日目に行われたフィールドワークで、被爆者の方々に直接お話を伺うという機会を与えられました。被爆当時のことを思い出し、しかもそれを言葉にして伝えるのはとても辛かったことと思いますが、それでも一生懸命話してくださる姿に私は胸を打たれました。静かに、そして淡々とした口調の中に深い深い悲しみが込められているのを感じました。その姿や口調は今でも私の中に鮮やかに残っています。
そして被爆者の皆さんのお話は様々でしたが、そこには、ある共通したメッセージがあることに気がつきました。それは、「社会や時代に流されず、自分の考えをしっかり持って主張していける人間になってほしい」ということです。戦時中は「天皇のために命を捨てるのは当たり前」と教えこまれ、自分の意思を持てずに戦争を批判することができなかったことを今でも心から悔やんでいるのだそうです。当時、徴兵を拒絶した人は『非国民』と非難されたそうです。今考えると「その人たちは自分の信念を曲げず、正しかったのだ」とも話して下さいました。もし、戦争に対しての自分の考えをはっきり主張していたらどうなっていたのか、それはわかりません。しかし被爆者の方々が当時の国や教育だけでなく、今もどこかで自分自身をも責め続けながら生きている、という事実に私は大きな衝撃を受けました。やりきれない思いを感じました。
そしてまた、偏った教育によって洗脳されてしまうことの恐ろしさを知りました。これは広島から帰ってきてから知ったことですが、当時日本では、教育勅語の暗唱が義務付けられていました。その内容というのは「家族愛や友人愛よりも天皇への忠誠心を優先しろ」とか「戦争のときには天皇のために喜んで命を投げ出せ」という信じられない内容だったそうです。子供たちは毎日毎日これを暗唱させられ、まじめにやらないと体罰さえも与えられ、親までも呼び出されたそうです。そして、その結果おとなしく暗唱せざるをえなくなり、忠君愛国を信じて疑わなくなってしまったということです。もっと色々なことに興味を持ち、将来に夢を持ち、見聞を広げられたでしょうに。戦争は大勢の人々の命だけでなく子供たちの無限の可能性までも奪ってしまったのです。
今は自分で自由に思想が持てる世の中になりました。そして、わたしたちはそんな時代で何の不自由もなく暮らしています。今回広島に行っていなかったら、きっと戦争について深く考えることもなく、そのままなんの疑問も持たずに暮らしていたことでしょう。でも今回の広島の旅で被爆者の方々の深い悲しみや当時の理不尽な教育を知ってしまった今、無関心でいることはできません。誰にも遠慮することなく自分の意見が言えるようになった現在だからこそ、平和のために何かできるような気がします。無限の可能性を歪められてしまった子供たち、そして今も自分の生き方を悔やんでいる被爆者の方々。本当に胸が痛みます。でも彼らからのメッセージはしっかり受け止めることはできました。
お話してくださった被爆者の方のお一人がおっしゃった印象的な言葉をここでお伝えします。
「あれからもう六十年たったなんて信じられない」
この言葉は原爆や戦争がいかに恐ろしいものであったか、そして消えることなく今も人々を苦しめ続けているか、ということを物語っていると思います。六十年の時が経っても拭いきれない深い深い傷を心の中に残しているのです。
恐ろしい戦争を起こさないために私たちが今何ができるのか。平和のために何ができるのか。確かな答えはでてきません。でも少なくとも「周囲に流されず、自分の意見をしっかり持って主張していける人間になってほしい」という被爆者の方々からのメッセージをしっかり受け止めて、生きていくことはできます。そしてこのメッセージを伝えていくのは私たちです。心から平和を願い、戦争を昔話で終わらせてはいけません。周囲に合わせるという安易な道をとるのではなく、胸を張って自分の意思をきちんと主張できる人間になりたいと願っています。広島の旅は終わりましたが私の「ひろしま」はこれから始まるのだと思います。

私のグループは、韓国人で戦時中日本に連れてこられて広島で被爆し、現在は韓国から渡日し、治療をしている金さんのお話を聞きました。ここではその報告をさせていただきます。
金さんは、17歳のときに広島で被爆しました。現在はたくさんの人の援助を受け日本で治療しています。韓国に家族もいます。被爆者を診察できる医者は、日本にしかいませんでした。そのため、韓国人をはじめとする外国人被爆者は渡日して治療を受けるしかありませんでした。医師の診察と二人の日本人証言者により被爆者と認められると、原爆手帳を取ることができます。しかし、韓国人が日本人の証明者を二人も得るには時間と手間がかかる上、これは日本でしか申請できません。手帳を持っていると34,000円の手当てが支給され、日本人にはさらに治療費として約150,000円が与えられます。二年前裁判で勝訴したため、韓国人にも支給されることにはなりました。しかし、日本に滞在している間のみ支給が受けられる、という条件付でした。韓国人被爆者への日本側の対応は未だ不十分であり、金さんは韓国の現地でも手帳の申請ができるようになること、日本人被爆者と同じレベルの対応が受けられるようになることを望んでいるとおっしゃっていました。戦時中、召集令状を受け取り、日本人として訓練も受けていたのに、終戦を迎えるとやけどに塗る薬をもらいに行っても、「韓国人に塗る薬はない」と言われたそうです。これは、日本から向けられた差別ですが、韓国で金さんが受けた差別も大きなものだったようです。結婚はしにくかったようですし、韓国でせっかく用務員として就職しても、被曝者だと言ったら解雇されてしまった人もいるそうです。また戦後、日本と北朝鮮とは国交がなく、北朝鮮にいる被爆者は治療を受けることができないのだそうです。さらに当時、日本も原爆を作成し、実験前、という段階にまできていたという話には衝撃を受けました。
金さんの話を聞いて、私達は日本側の立場でしか被爆者や原爆のことをとらえていなかったことに気付きました。世界各国では、その国の立場とか、日本とは違う教育があったりして、原爆に対する見解がそれぞれ違ってくるのでしょう。
今回の学習では、違う視点や考えに触れることができ、より日韓の関係について深く考えるよい機会となりました。金さんの話の中には、私達の知らなかったことで、なおかつ想像もしていなかったことがいくつかあり驚きました。歴史や被爆の事実について無知であることを改めて感じました。唯一の被爆国である日本に生まれた私達は、すすんで原爆について学び、その脅威を伝えていかなければならないという気にさせられました。金さんは日本で差別を受け、辛い思いをされ続けている立場と、日本で治療されている立場との両方で、複雑な気持ちを持たれているのが汲み取れました。
「戦争は嫌い。皆こじきになる。欲深くどこの国よりも自国を強くしたいと武器を持つと戦争になる。」という金さんの言葉が強く印象に残っています。今回私たちに与えられたたくさんの宿題を胸に、再び広島を訪ねる機会にはまた違った気持ちで歴史と向き合うことができると思います。

◇中2ごてんば教室◇

 

7月21日~25日に前後班二つに分かれて御殿場寮で中2がごてんば教室を行いました。
テーマ「しあわせって?」について、講師の高寺幸子先生の講演、課題図書「星の王子さま」、紙をちぎって「しあわせ」のイメージを模造紙に表現するコラージュ・メイキングなどを通して考えました。全体会ではお互いの意見に耳を傾け活発な話し合いがなされました。

私にとってごてんば教室での3日間は本当に充実したものだった。行くその日まで特に自覚もなかった私だが、LHRでグループ内での話し合いを行ってきて手応えを感じていた。
くじ引きで同じグループになった彼女達は一人ひとりの意見をきちんと伝えてくれ、共に考えてくれたからだ。
そして、当日。着いて早々の講演会で少しとまどったが、講師の高寺先生は熱心にお話してくださった。今回のごてんば教室のテーマは「しあわせって?」だ。これからの自分の為、私が関わっていく人達の為に「しあわせ」は必ず考えなければならないものだと思い、テーマを決めてくれたごてんば委員に感謝した。講演会を聞いたり、話し合ったりするうちに、肉体的しあわせと精神的しあわせの関係など新しい疑問も出てきて悩んだりもした。その後、話し合いに話し合いを重ね、私達なりの結論に至った。「幸せ=バランス調和」とする定義だったが、そこまで到達したきっかけが「歌」で、恥ずかしいと思いつつ何となく部屋の皆と歌った「歌」、つまり歌声の調和が私達を答えと導いてくれたような気がする。この他にも「HAPPYとBLESSED」「星の王子さまの幸せ」など色々とたくさんのことを話し合った。そして最終日、私達の班はまとめの会で自分達の結論を発表することになった。他班の人の意見を聞き、質問しあったりしていくうちに自分の考えがどんどん推敲されていくのを実感した。先生方が私達の考えを一つにまとめようとしたりはせず、ただありのままを見守ってくださっている姿を見て、JGらしいなぁとも思った。事実「まとめの会」という名前ではあったが、たぶんこの会は自分の考えをまとめる会であって、誰も結論をまとめたりはしなかったのである。このような環境だったからこそ、結果的に自分なりの考えが確立できた。
私がこのごてんば教室で得たものは多すぎて、書ききるのには相当の時間と体力を費やさなければならないだろう。ただ、私はこの話し合いの結論を出した時しあわせを感じた。ごてんば教室に来る前「私はしあわせかなぁ?」と疑問を感じていた私がその時、「私はしあわせだ」と思うことができた。
この3日間は将来「私」を形成する糧になるだろう。先生が、「このごてんばを経験してから真のJG生になれる。」とおっしゃった意味が何となく分かった気がした。

◇避難訓練が行われました◇

避難訓練が行われました
9月1日は防災の日です。女子学院ではそれに合わせて9月の1,2週目に避難訓練を行っています。今年も9月9日(金)に行われました。主な訓練の内容は、(1)大規模地震発生を想定した発生直後の適切な行動、(2)ゆれが落ち着いた後の安全な場所への避難、(3)消火器取り扱い訓練、(4)消火栓放水訓練、(5)災害時の帰宅を想定した方面別の集合の訓練などです。

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