平和講演会が行われました

 6月19日、中学一年生から高校三年生までの全校生徒で、戦争体験記『ガラスのうさぎ』の著者である高木敏子氏より「『ガラスのうさぎ』と私」と題した講演を伺いました。生徒の感想を紹介します。

 

 

 

高木敏子さんという方を『ガラスのうさぎ』の作者としてしか知らなかった私は、実際に87歳で病気をいくつも抱えているというその方を見た時、正直驚いた。戦争を知っていても、もう語るのが難しい、あるいは語れなくなる人がほとんどであるという現状を突きつけられ怖くなった。高木さんは「日本人は冷めやすい」とおっしゃった。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」そのままの、絶対的平和を守ろうとする意識が薄れた言動や風潮が確かに高まっている。

小学六年生で一人寂しさに耐え疎開するしかなかった時のこと、下着にした花の刺繍すら許されなかったこと、ガラスも溶ける高熱の中で苦しみながら焼け死ぬという「空襲」という一言に包まれた恐ろしさ、父の死に、子ども一人でどうにかしなければならなかったこと。本を読んで少しは分かったと思っていた戦争の恐ろしさは、実際にそれを体験した方の生の声で語られる恐ろしさとは比べものにもならない。

こんな恐ろしいことを忘れていく、命を尽くして語る方々もどんどん少なくなっているということがこんなにも恐ろしいとは知らなかった。私たちが忘れてしまえば後の世代には伝わらない。絶対にそれだけは防がなければならないと思う。一生を捧げて人の心の生む脅威を語り伝えようとする高木さんたちの努力だけでは日本は変われない。知ろうとする義務がこの先を生きる人間にはあるということ、流されず本当に正しいことを進めていく義務が私にもあるということを強く訴えかけられたように思う。絶対に百年後、高木さんの活動に平和という形の意味を与えられる日本にしなければならない。

今回、命を使って高木さんが伝えてくださった強い危機感を今皆が持ち、「知る」義務を果たし続ける必要があるということを、私たち全員が常に当事者としての意識・危機感のもとに守り伝えていかなければならないのだ。自分の人生を平和なものにするために、そして後世の人々の人生のために。(中学生)

 

 

私が印象に残ったのは、高木さんが「生き残させてくれた」とおっしゃったことだ。この言葉には、高木さんが戦争体験を私たちに伝えたいという思いが表れていると思う。私たちがこれから戦争、平和について考える助けをするために生きている、という決意のようなものが感じられた。

私は今まで戦争体験は、私たちが戦争を考えるための材料としか考えていなかった。戦争体験を聞く、もしくは読んで、その事実や当時の心情だけを受け止めていた。体験を伝える「今」の心情、これからどう生きていきたいと思っているのか、などは考えもしなかった。しかし、それだけでは深く考えることはできないと感じた。

高木さんはご病気を患っていらっしゃるのに、今まで多くの講演会を開かれてきた。それは私たちに戦争や平和について考える機会を与えてくださっている、ということだ。私だったら、家族を失ったというような悲しく辛い経験は人に話したくない。何度も悲しい気持ちになるのには耐えられないし、自分に何かできたのではないか、と強い後悔の気持ちもこみあげてくるだろう。しかし、高木さんはご自身の体験を本として出版し、さらに積極的に講演会を開かれている。また、体験を語るだけでなく、今の私たちの生活において意識できることをお話ししてくださった。過去のことばかりでなく、現在の世界にも目を向け、これからの時代についても考えていらっしゃる姿も印象的だった。私たちには世界を引っ張っていく力があり、その力を発揮するきっかけを作ってくださっているような気がした。もう、戦争体験を直接伺うことはないかもしれない。私たちは高木さんの体験だけでなく、気持ちも他の人へ伝えるべきだと思う。これから行く「ひろしまの旅」でも、気持ちの面についても考えていきたいと思った。(高校生)

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