ひろしまの旅報告礼拝を紹介します

女子学院の高校一年生の行事に、ひろしまの旅があります。
2021年度は現地を訪れることはできませんでしたが、ひろしま委員を中心として準備を重ね、3月28日と29日に校内でひろしまの旅のプログラムを行うことができました。
5月11日に行われた報告礼拝を紹介します。
 

私はひろしま委員としてこの一年間ひろしまプログラムの作成に携わった。事前学習の内容について、学年全員がより主体的に平和について考えるために、どのようなプログラムがよいのか委員で話し合いを重ねた。そして夏休み前までの事前学習では、アメリカと日本の新聞記事から平和を考える「客観」、この世界の片隅にという映画を見て戦時中の人々に思いをはせ考える「主観」、戦争をさけるにはなどのテーマを話し合う「哲学」の3つのテーマに分かれて各自が興味のあるテーマに参加してもらった。広島の旅はコロナの感染拡大で10月の予定が3月に延期、そして中止となり二日間の代替プログラムを行うこととなった。広島に行くことで得られるものが、代替プログラムでどこまで補えるのか、普段生活しているJGの中で、戦争の資料を見学することが資料館に行くことで感じる特有の緊張感を失わせるのではないかという不安を感じながらの準備だった。
そして当日を迎えた。事前に準備で関わってきた私にとっても深い学びの時となった。二日目にお話ししてくださった被爆証言者の中村富洋さんは証言のなかで、「生き残った後ろめたさを感じた。」とおっしゃっていた。私たちには想像もつかない、昨日まで一緒にいたクラスメイトが皆亡くなってしまうという状況を作ってしまう核兵器の恐ろしさ、生きていることに後ろめたくなるという戦争のもたらす異常さを感じた。
また、二日目に講演してくださった小倉桂子先生が「核兵器がどんな影響を及ぼすのか知ってほしい。核兵器をなくす努力を世界の人々がすればきっとなくなると信じている。自分にできることを探してほしい。」とおっしゃっていたことが強く印象に残っている。今回お二人の証言を聞いて核兵器は、一瞬で多くの人の命を奪うだけでなく、生き残った人たちを長い間苦しめ続ける恐ろしい兵器だと改めて感じた。もう二度と核兵器が使われないために、私たちは核兵器はなくならないと諦めるのではなく、出来ることを探して行動に移していきたいと思う。
また、資料見学では、広島の平和資料館と八王子平和資料館からお借りした資料を展示した。展示の事前準備では、どこに何を置くか、みんなにどのように見てもらうのか、を委員で話し合い資料を展示していった。広島に行ったらできなかった展示する側になるという貴重な体験ができた。そこで私は初めて直接被爆者の方の衣服を見た。どこから着るのか分からないほどぼろぼろになった衣服は、血でできたしみも沢山ついていて、中学一年生で亡くなっていった男の子がそこにいたのだということを私に強く認識させた。高温にさらされて表面がざらざらになった原爆瓦を触って、被爆した方たちが、どれほどの熱線にさらされたのかと改めて原爆の威力の凄まじさを感じた。私たちは原爆による広島の死者が約14万人という数字を学んではいても、その一人一人に私たちと変わらず家族や友達が居て、当たり前の日常生活を送っていたという事実を忘れてしまうことがある。数字にだけとらわれて、当たり前の事実を忘れてしまわないようにしたいと今回被爆した男の子の衣服を見て強く思った。
プログラムの最後に行った全体会では「いま日本は平和か」「多様な価値観の中で平和を作るには」という問いで話し合った。私は平和のために私たちにできることは、二つあると思う。
まず、小さな平和を作っていくことだ。戦争をなくすという大きな課題を前になにをすればいいのか分からなくなってしまうが、私たちできる一人一人が自分の周りを平和にしていくことが世界の平和にもつながっていくと思う。
そして、学び続けることだ。過去に何があったのか、なぜ戦争が起こってしまったのか、という歴史的背景を多角的に、客観的に知っていくこと、戦争体験の悲惨なお話を聞き、戦争の実態を知っていくことが大切だ。また戦争体験を聞ける最後の世代として、戦争のお話を後の世代に語り継ぎ、戦争の悲惨さを伝えていくことも私たちにできることだと思う。
戦争が起きず、すべての人が平和に暮らせる日が来るように、私たちは一人一人が出来ることを考え行動していかなければならないと今回のプログラムを通して強く感じた。

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