中学入試が済みました

◇中学入試が済みました◇

2月1日、2002年度中学入学試験が行われました。穏やかな天候のなか受験生が全力で試験に臨まれました。2月2日11時30分合格発表、2月4日入学手続きが行われました。

志願者数 643名
受験者数 615名
合格発表数 262名

新入生と一緒に始める新年度を楽しみにしています。

 

◇文化祭講演会から◇

文化祭実行委員会特別企画 21世紀記念講演会

女子学院はここにあり、そしてこれから・・・・・・

21世紀最初の文化祭に、なにか記念となる行事を、という生徒の熱意と努力が実を結び、10月8日、文化祭二日目に記念講演会が開かれました。文化祭実行委員長の司会で、年代の異なる三人の卒業生に在校生、院長を交え、女子学院の過去と現在と未来の話題が繰り広げられました。ここに、ほんの一部ですが、ご紹介いたします。(要約広報委員会)

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■現在の女子学院 (高2 報道委員長)
■キリスト教と私たち (1999年卒業 東京大学 3年)
■温室のなかで培われた感性 浅井靖子(1981年卒業 NHKディレクター)
■社会のなかで力を発揮する 畔蒜一子(あびる いつこ)(1960年卒業 元日本航空スチュワーデス)
■女子学院の”精神” 田中弘志(現女子学院院長)

■現在の女子学院 (高2 報道委員長)

女子学院では、クラブ、委員会など、すべて生徒中心で運営されています。もちろん先生や保護者の方々の支えや協力があるわけですが、今日の文化祭も、体育祭も、高二を中心に生徒の手で成り立っているのです。
私自身、クラブ、委員会において、後輩時代には決して味わうことのなかった気持ちをたくさん抱いてきました。ある時はそれは大きな喜びであり、また、ある時はとてつもない不安や苦しみでした。そんな思いに襲われ、すべてを投げ出して逃げてしまいたくなることもしばしばありました。
しかし、そこから多くのことを学ぶというのもまた事実です。実際、すべてのことをやり遂げた生徒たちは、以前と比べると少し大人びた雰囲気を持っていると感じさせることもあります。
最初は自由という言葉に対して自分が抱いていた考えと実際とのギャップに苦しめられていましたが、最終的に自由イコール責任を負うという構造をあるがままに受け入れ、理解していくのだと思っています。
この130年間、女子学院はたくさんの変化を遂げてきました。そして、その最後尾にいる一番新型が私たち現役のJG生です。その変化は、よいものであったり、悪いものであったりするかもしれません。今現在の私たちの髪や顔や服装を見て顔をしかめる大人もいますが、そんなことは、私に言わせてみれば、どうでもいいことです。少なくとも私たちJG生は、どんな身なりをしていても、ごくたまに例外もありますが、心意気は百万石です。
その原点は130年前にあります。キリスト教に基づき、自由な校風の中で生きてきた私たちの大先輩がすべての原点です。個人色が強く、自己主張が激しく、流行の先端を追い求めるような女性は130年前からいたのです。昔があって今がある。これからこの女子学院がどのような変化を遂げていくのかは、とても私の想像の及ぶところではありませんが、確実によいほうへと進んでいくと、少しの期待も含め、信じています。

■キリスト教と私たち (1999年卒業 東京大学 3年)

キリスト教の考え方は、私の気づかないところでしっかりたたき込まれていると感じました。
毎朝の礼拝、クリスマス礼拝での讃美歌、キリスト教的な視点からの講演会も多く、そういうことを通して聞いていたお話というのは、右から左に通り過ぎてしまうだけではなくて、私の中に蓄積されて、いろんなところで顔を出すことに気づきました。
それが人のやさしさというものにつながるのではないかと思います。有能な人は、自分では何でもできてしまうので、その基準を他人にも当てはめて考えて、人に仕事を任せても、あいつはできないとか、やってもできないからやらせないとか、そんなことを言いながら全部自分でやろうとしたりするのですけれども、女子学院の友だちのなかにはそういう人は少なく、何か失敗があったとしても、それを包容できるような許容力と優しさを持っているのです。
またホームルーム礼拝では生徒一人ひとりが聖書の箇所を与えられて話をするのですが、自分の心の問題を語る時間になっていて、友人や自分の内面で、多くのうれしい発見をすることができました。

■温室のなかで培われた感性 浅井靖子(1981年卒業 NHKディレクター)

当時は大島孝一院長だったんですけれども、私たち生徒が何かの抗議に行くと、とてもそれを喜んでくれました。こちらの議論が未熟で、鼻で笑われて帰ってくる、という感じではあったのですが、生徒が院長室に行って、「先生、話があります。先生の考え方はおかしいと思います」と言っても全然おかしくない学校でした。
そういう女子学院で六年間過ごしたことは、私にとっては、物事を見きわめる目や考える力、そういう生きていく力をつくるための基礎的な場だったと、今になって思います。
就職して、はじめは仙台の放送局で駆けだしのディレクターとして仕事を始めたのですが、日々取材でお会いするのは、東北弁で何を言ってるのかわからない、仙台湾でホヤをとっているおじさんとか、遠野で草むしりを日がなやっているおばあちゃんとか、なのです。
その時に思ったのは、自分たちが十代の時に青臭い議論をしていた言葉が何とうつろであったことかということだったのです。
一日草むしりをしながらぽろっとおっしゃる言葉のなかにある真実の重みに驚き、自分がいたのは温室のようなある限られた箱の中だったなぁ、ということを強く意識したのです。
けれども、そのおじいちゃん、おばあちゃんの話が、これはおもしろいなあって思える気持ちの根っこは作ってもらえたのです、女子学院で。それをどこからもらったのかわからない、礼拝であったのか、日々の先生方の授業であったのか。でも、そういう言葉のほうが重いよね、納得できるよね、という感性は女子学院の中でもらえたのです。

■社会のなかで力を発揮する 畔蒜一子(あびる いつこ)(1960年卒業 元日本航空スチュワーデス)

私は山本つち院長の時でしたが、進学する人がほとんどで、就職したのは一割ぐらいでした。私は石油会社を経て日本航空に就職したのですが、当時スチュワーデスは独身でなければならず、30歳定年でした。上司に私たちには30歳から先はないんでしょうかと言いましたら、今は考えてないという返事でした。
これは何とかしなくちゃというときに、女子学院の先輩で、やはりスチュワーデスの永島玉枝さんという方が手紙を書いて、私たちにも仕事をやらせてくださいと。それがきっかけで30歳の定年が崩れて、33歳までならよろしいと。そうこうしているうちに少しずつ少しずつ延びて、35歳までよろしい、やがて、数年後には男性と同じ60歳を獲得しました。いろんな運動の後に、結婚、そして、子どもを持ってもよろしいということになって、今は60歳定年で、結婚も子どもも、男性と同じようにできるという条件になったわけです。それは、最初からあったわけではなくて、獲得していったものなんです。
「これからの世の中を本当にリードしていく、あるいは支えて引っ張っていく時に、人の心を持った、しかもきちんと自分で考えることのできる人、そういうエリートをたくさん世の中に送り出していくのが女子学院のこれからの役割ではないかと思います。」と先程田中院長先生がおっしゃいましたがそのとおりだと思います。また、女子学院はそうしてきたという実感があります。そういう力をいただいたという実感があります。
これからの皆さんたち、大学に行き、社会に出る方たちに、どういう人になってほしいかということを申し上げると、挫折から立ち直れる人になってほしい。それから、問題解決のできる人になってほしい。もうひとつは、人に与えることのできる人になってほしい。
今、情報化・グローバル化の真っただ中にあって、やがては日本はそれらをリードして行くべき立場です。そのためには、まずコミュニケーション力。それから、発表能力といいますか、自分の考えを正しく相手に伝える能力。そういうものが必要だと思います。
女子学院の今の教育は、ホームルームで意見を闘わせたり、ものを書いたり発表をしたりする機会がたくさんあって、自分の考えもまとめるし、発表能力も培われるということですが、それはすばらしいことだと思います。

■女子学院の”精神” 田中弘志(現女子学院長)

私は、昨年斉藤正彦先生の後任としてこの女子学院にきたのですが、最初に驚いたのは、生徒たちが行事に非常に夢中になることです。体育祭はものすごい勢いでやっているし、応援合戦がすさまじい。生徒だけではない。先生たちも自分の応援するカラーの服装で、とにかく燃えに燃えてやっている。例えばこの文化祭でもそうだし、何か学校行事をやるときに本当に夢中になってやる。もちろん勉強をとても大事にしているということはよくわかるのだけれど、同時にそういうことに非常に燃えるというのを見て、私はとても安心したのを覚えています。クラブ活動もしかりです。そういう意味で一年間のスケジュールの中でどの断面をとってみても、非常にカラフルというのが私の印象です。
去年創立130周年記念の講演会の中で、戦前の院長であった三谷民子先生が明治のころからずーっと続いていた女子学院で大切にしていたものの一つとして、「才媛主義じゃなくて前掛け主義」ということをしきりに言っておられたということが紹介されました。それは何かというと、女性が自立していくのはもちろん大事なことだし、勉強をしっかりしなさいということは、女子学院の創設のころから先生方が言っていたのですね。でも、頭でっかちになって、世間知らずではだめだと、女性としてやるべきことをきちんとやる。”前掛け主義”というのは家庭にあって家庭の仕事、ぬかみそ主義と言いかえてもいいかもしれませんけれども、ぬかみその中にも手を突っ込むとか、雑巾がけをするとか、汚いものでもどんどん自分で直接さわってきれいにしていくとか、そういう意味合いが含まれています。
私は、その精神は今の生徒たちのなかにも、いろんなことに挑戦する気持ちとして継承されていると思います。「見えないものに目を注ぐ」が、去年の女子学院の標語でしたが、女子学院生の心のあり方、というか、精神性には本当に大切な目に見えないのが、ずっと130年の歴史を通じて、根底に流れているのだと思います。

◇中3国語科授業の紹介◇

【中3クラス劇公演】 1月26日(土)に行われました。
国語の授業の一環として中3では11月の脚本選びから始まって、大道具、衣装、照明、音響を本格的に準備して講堂で上演しました。

 

上演時間はそれぞれ50分という制約はあるものの、9時から3時30分まで次々と演じられる劇に、つめかけた観客は笑ったり涙ぐんだりしながら、素晴らしい時間を共有しました。

 

★当日劇を見てくれた保護者の方の感想より

● 楽しみにしていましたが、想像以上でした。舞台の装置をはじめ当日までのみんなの取り組みはいかばかりだったか、よくわかります。毎朝早くから登校した甲斐があったことでしょう。
● 完成度の高さに驚きました。作品の訴える内容の深いこと、またそれを演じ切ったキャストやスタッフの技の確かさ。何度「これが中3の劇なのか」と上演中に目を疑ったことか。いつもながらJG生の底力と結束力に感心し、娘もその一員であるという喜びを感じました。
● 観ている者も、期待や憧れからいつの間にか舞台と同じ熱気の中に引き込まれ、あっという間に時が経っていました。素敵な時間をくれた親孝行な娘達へ「ありがとう!」

★公演を終えての生徒の感想から

● 劇の発表日の1週間前はとても忙しく、勉強する暇もなかった。本当に大道具のことばかり考えていた。私が一番切実に思ったのは、大道具は一番大変な仕事なのに、目立たないということだ。初めはそのギャップに苦しんだが、今は「私たちみたいな縁の下の力持ち的な存在の人がいないと、劇は成り立たないんだ」と思うようになった。
● みんなで一つのものをするのは、すごく楽しかった。舞台というのは誰か一人が作っていくものでもなく、キャストだけが作り上げるものでもなく、たくさんのスタッフや見てくれる人たちがいて初めて出来上がるものだった。みんながいて、初めて出来上がった。そんな舞台が素敵だと思った。
● クラス劇を演じて気づいたことは、人の気持ちを考えるということだ。自分とは、境遇も性格も違う人物を演じ、その人物について、「人間」について深く考えた。そうして役作りをして練習に臨んだが、「何か」が足りない。相手の気持ちを考えていなかったのだ。表面上は相手を思いやっているつもりでも実際は一人で自分勝手に演技していた。相手の役の、さらに役を演じている友人の気持ちに思い至ったのは本当に本番直前で、それに気づくまでにいろいろな人に迷惑をかけたり、傷つけたりしてしまった。劇を通して、このことに気づけてよかったと思う。
● 練習を始めるまでは、クラス劇をやる理由がわからず面倒なだけだと思っていた。しかし、終えてみると中学のいい思い出が増えたし、中学最後のクラスの団結という大きなものを得たと思う。

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