標語聖句

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2026年度の標語
「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」
(コリントの信徒への手紙二12章9節)

私たちは、物事が順調に運んでいるときに、自らの弱さを感じることはほとんどありません。成功を収めたときには、単に運が良かったと考える人もいれば、これまで続けてきた努力が実ったのだと振り返る人もいます。私たちはどうしてもその要因を自分の行いと関係づけて、納得しようとする傾向があるようですが、これは必ずしも悪いことではありません。さまざまな反省の上に立って、新たな挑戦をしていくことは、私たちが大きく成長するのに必要なことでもあるからです。

しかし、けっして忘れてはならないのは、成功も失敗もすべては神様の導きのうちにあるということです。成功も失敗も自らの力によるのではなく、神様の深い考えがはたらいている結果だということです。いつも目に見える結果のみを受け取っている私たちは、残念ながら、神様の思いをはかり知ることができません。結果を受け取ってそのときに嬉しいか悲しいか、自分にとって良いか悪いかといった表面的な判断をしてしまうのです。神様のなさることはすべて良いことなのだから私たちは何でも喜んで受け入れるべきであると、頭の中ではそう理解していても、見えない結果を信じて待ち望むことは実際にはたいへん難しいことなのです。

望んだ結果が得られないときに、私たちは自らの無力を自覚し、弱さを感じることにもなるでしょう。思うようにならないことはこの世の中に満ちています。聖書の中で使徒パウロは、弱さの中にこそ力があるのだと、神様から示されたことをコリントの人々に伝えました。自分が思い上がることのないように、神様から一つのとげが与えられたのだと言うパウロは、肉体的にもあるいは精神的にも自分の弱さを自覚していたのでしょう。しかし、そこに神様の大きな恵みが十分に与えられることによって、パウロは生かされ、用いられたのです。それゆえ大いに自分の弱さを誇ると言い、自分自身については弱さ以外に誇るつもりはないとまで言います。それは弱いときにこそ強いという逆説的な確信からくる言葉です。なぜこのようなことが言えるのでしょうか。ここには神様からいただいた恵みの自覚がかかわってくるのです。

私たちは完璧に近づくことを求めますが、その願いの多くはかなえられません。それは、神様が私たちをあえて欠けのある者としてつくられたからです。欠けのある者同士が互いに助け合い、それでも満たされないところを、神様の恵みによって手厚く補ってもらい、そうすることで私たちは与えられた務めを果たすことができます。何事においても、神様の恵みを受けて助けが得られることを知っている者は、たとえ小さな力であっても自分のもっている力を発揮し、大きなはたらきを成すことができるのです。何事も神様の助けなしにはできないのだということを知っている者こそ強いのです。

だから、弱い私たちは神様に御心を示してくださるようにと祈ります。助けを与えてくださるようにと願います。見えない未来、見えない結果に対するとき、神様への信頼があってこそ、弱さを強さに変えていくことができるのです。私たちは弱い存在です。神様に信頼して弱さの中で力を十分に発揮できるよう努めてまいりましょう。

(院長 鵜﨑 創)

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