標語聖句2019年度

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2019年度の標語
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」
(ヨハネによる福音書15章12節)

主イエスは弟子たちに対して、互いに愛し合うようにという新しい掟を授けました。実は、隣人を愛することが大切だという教えは、古くから旧約聖書の中にも記されていて、レビ記19章18節には「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」と神様から命じられています。そして、新約聖書では、主イエスを試すために、律法の中で最も重要な掟は何であるかとの質問をした律法の専門家に対して、主イエスは「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」と答えています。つまり、聖書の中では、一貫して神を愛することと隣人を愛することが求められているのです。

しかし、実際の私たちの社会において、この教えはどう守られているでしょう。どんな苦しい状況の中にあっても神様を愛することのむずかしさ、また、他人に恨みや妬みを抱かないで、隣人を愛し続けることがいかに困難であるかは、私たち自身が日々の生活の中で実感しているのではないでしょうか。聖書の中で求めている「愛する」ということは、都合のよいときだけに示す愛なのではなく、どんなときにも与えることのできる無償の愛のことですから、そう簡単に私たちが実践できるものではないのです。

神様は、私たち人間を、神様の姿に似せてつくられました。神様は私たちを愛し、ついにはその独り子をこの世に送られたほど、私たち人間とこの世を愛してくださったのです。私たちが互いに愛し合うことを実践するには、すべてはここから始まります。神様が私たちを愛してくださっている、つまり私たち一人ひとりが、神様から愛されているということを自覚する必要があるのです。もしかすると隣人を愛することよりも、神様に愛されている自分に気づくことの方が難しいのかもしれません。他者との競争や比較が、この気づきを大いに邪魔します。神様が自分に何を与えてくださっているかという、神様と自己との関係を見る目を曇らせてしまうのです。隣人を愛するためには、矛盾するように聞こえるかもしれませんが、まずは神様と一対一で向き合うことから始めるべきです。神様に愛されている自己を自覚してこそ、自分と同じように神様に愛されている隣人の姿が見えてきます。自分とは考え方が違っても、意見が合わなくても、すぐに判りあうことができなくても、神様はこの人のことも愛しているのだということが理解できれば、私たちの間には、神様を仲立ちとした平和が訪れます。主イエスの教えである新しい掟とは、この神様の愛を私たちが理解することで成立するものです。そして、そこには私たちの罪を贖い救いに導くために十字架の死を受け入れられた、主イエスの存在が欠かせないのです。主は自らの命と引き換えに、私たちを神様につなげてくださいました。主イエスが私たちを愛したように、私たちは神様を愛し、自分を愛し、隣人を愛するように努めましょう。

院長 鵜﨑 創

 

 

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