標語聖句2001年度

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2001年度の標語「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブライ人への手紙 13章8節)

21世紀を迎えました。新世紀の最初の年といえば、やはり何がしか心の新たまる思いはありますが、しかし正直なところ、新世紀だからといって手放しで喜ぶ気持ちにはなれません。今から100年前、20世紀の始まりに立ち会った人々は、これから始まる新しい時代に大きな夢を描いて、わくわくするような期待と希望に満ちていたといいます。それに比べれば今の私たちの心境は、期待が半分、不安が半分というところでしょうか。 その不安はどこからくるのか。一つには科学技術の進歩が必ずしも人類の幸福を約束してはくれないということを私たちが経験的に知ってしまったからではないでしょうか。科学技術や医学の進歩が人類に大きな恩恵をもたらしてくれたのは事実ですが、その技術を手にした人間のこころがそれに伴って高められ、豊かになっていかない限り、「世の中の進歩」は必ずしも明るい未来を約束してくれないだけでなく、へたをすると地球の破壊、人類の破滅にさえつながりかねないという不安がつきまとっています。 もう一つ、より漠然とではありますが、より深い所で私たちの存在にかかわっている不安は、世の中の急激な変化に対する不安だと言えます。今日新しいことが明日は古くなっていくというような激しい変化の中で、私たちは最終的に何を頼みとすればいいのか分からないという状況が生まれているのではないでしょうか。世の中が変わり、考え方が変わっていくのは避けようのないことで、むしろ積極的に変えていかなければならないものもあるでしょう。しかし一方において変わらないもの、変えてはならないものもあります。人間の尊厳、命の大切さなどは、世の中がどんなに変わっても変わらないものであり、変わってはならないものだと思います。 文明の利器や、物質的な豊かさは、あればありがたいには違いありませんが、たとえ私たちがそういうものを失うことがあったとしても、命を愛する心やいたわりの気持ち、感謝の気持ちがあれば、私たちは生きていけます。そういう人間のあり方を根底において支え、慈しみをもって導いて下さる神さまの愛は、昨日も今日も、とこしえに変わることはないという聖書の御言葉は何と大きな慰めであり、また支えでしょうか。

院長 田中弘志

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